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Date: Wednesday, 11 Nov 2009 03:29
うなされて起きた。
埃と大量の虫が湧いた空間に取り残されて、どうしても虫さんたちから逃れることができず、体中にかぶれやボツボツが出てきて、「ぎゃあぁぁぁっぁぁっぁぁぁ!!Σ(|||▽||| )」となってるところで、目が覚めた。
…この夢はアレだ。アイツのせいだ。起きた瞬間に分かった。
数日前、ミュージカル「グレイ・ガーデンズ」を観に行ったときだ。
私は、別にマニアックなファンというわけでなく、一応新作チェックという感じで舞台を観に行ってるだけなので、なるべく初日は避けるようにしてるんだけど、なぜかグレイガーデンズはたまたま仕事が早く終わる日で、初日の余りチケットを取ってしまった。
案の定、やめときゃよかった…と思った。18時半開演だというのに、18時半になるまで客席に入れてもらえなかった。ロビーにあふれかえる人たちの中で、ぼ~っと立ちっぱで待たされながら、「あぁ~初日ってスタッフはバタバタしてるし、肝心の舞台の中身も未だ完成されてない演出や演技力だったりしてよろしくないのよねぇ~」と思ってた。初日の高揚感とか、フレッシュな熱気とか、もはや私が観劇する上では必要ない。初日あけてから数日後の落ち着いたときに見るのが一番なのだ。
開演が押すこと、15~20分。特等席には遅ればせながら、アメリカからやってきたオリジナルの外人スタッフ陣が、ずずずら~と並び、やっと始まった。
このミュージカルは、“第35代合衆国大統領ケネディの妻、ジャクリーンのエキセントリックな叔母とその娘について”の実話である。華やかな大統領家のイメージとは裏腹に、セレブから没落して、ゴミ屋敷と化したグレイ・ガーデンズ邸で、メディアの好奇にさらされながら生きる母娘の話。
私は実話ものに弱いので、しかも人のチアワセより、不幸モノの方が好きなので(^_^;)割と楽しみにしていった。
一幕は、良かった。
大竹しのぶの定評ある演技を、しかとこの目で見れたことも良かったし、歌唱力がイマイチなのは“歌手に憧れている歌手になれない女性”という位置づけとしては気にならなかった。あとは、個人的に好きじゃない吉野さんのピアニスト役を除いては、皆演技もとても素晴らかった!親子ならではの近しい関係性から対立しながらも、やっぱり親子の縁を捨てることのできない、切っても切れない家族愛が、演技からしっかり読みとれ、セレブな家族の中にもさまざまな問題が浮き彫りになる、その苦しみや心の葛藤など、想像の世界だけど身にしみる話だ。
やっぱり、初日だから、長台詞ばかりの大竹しのぶさんも草笛光子さんも、どもるシーンもあったものの、初日だし致し方あるまい。
が、二幕がよくない。
暗い。痛々しい。取り返しのつかない話…(-"-)私がうなされる原因ともなったこの二幕のストーリー。
荒廃したグレイ・ガーデンズ邸で、グレイガーデンズから抜け出したいと思いながらも、年老いた母を置きざりに出て行けない娘。母とはたびたび対立し、自分の人生を新しく生きたいと思いながらも、結局は生まれ育った場所を捨て切れない。
その家族愛を描きたいのか、排泄物とゴミにあふれ悪臭を放ちながら暮らす、痛々しい親子の暮らしを嘲笑うように描きたいのか、よくわからない。虫が湧いた埃まみれのベットで暮らすシーンは、いくら不幸話が好きな私でも、楽しんでは見れなかった。
見ているうちに、自分と重ねて悪い想像が広がる。
母の病は再び悪化している。母がほとんど動けない状態なので、小まめに掃除洗濯しないとほっといたら、このグレイガーデンズ邸みたいになるんじゃなかろうか…っていう悪夢が頭をよぎる。人間は年をとるし、どうしても動けない体調不良のときだってあるし、それをどうすることもできず、ゴミ屋敷に暮らす親子の話。これはなんだか、笑えない。「だからどうなの?何が言いたいの?」と思う。
アメリカではそういう有名人のゴシップネタが売れるらしい。アメリカ外ではこの日本での公演が初めてのことらしいが、日本でこのストーリーがウケるのか…といわれると、う~ん・・・と頭悩ませてしまう。
開演が押し、休憩も伸び伸びになり、お詫びででてきたペットボトルや休憩中の無料カフェサービスのプチラッキー感を除いては、なんだか暗い気持ちでのご帰宅となった(-"-)
やっぱりミュージカルは悲劇でも不幸な話でもかまわないけど、何か夢や希望をもらえる作品であってほしいと思ってしまった。トニー賞3部門受賞のグレイガーデンズは…素晴らしいキャストの皆様には申し訳ないですが、私には合わない作品でした。。。
今度は楽しい作品観に行こうっと♪♪
埃と大量の虫が湧いた空間に取り残されて、どうしても虫さんたちから逃れることができず、体中にかぶれやボツボツが出てきて、「ぎゃあぁぁぁっぁぁっぁぁぁ!!Σ(|||▽||| )」となってるところで、目が覚めた。
…この夢はアレだ。アイツのせいだ。起きた瞬間に分かった。
数日前、ミュージカル「グレイ・ガーデンズ」を観に行ったときだ。
私は、別にマニアックなファンというわけでなく、一応新作チェックという感じで舞台を観に行ってるだけなので、なるべく初日は避けるようにしてるんだけど、なぜかグレイガーデンズはたまたま仕事が早く終わる日で、初日の余りチケットを取ってしまった。
案の定、やめときゃよかった…と思った。18時半開演だというのに、18時半になるまで客席に入れてもらえなかった。ロビーにあふれかえる人たちの中で、ぼ~っと立ちっぱで待たされながら、「あぁ~初日ってスタッフはバタバタしてるし、肝心の舞台の中身も未だ完成されてない演出や演技力だったりしてよろしくないのよねぇ~」と思ってた。初日の高揚感とか、フレッシュな熱気とか、もはや私が観劇する上では必要ない。初日あけてから数日後の落ち着いたときに見るのが一番なのだ。
開演が押すこと、15~20分。特等席には遅ればせながら、アメリカからやってきたオリジナルの外人スタッフ陣が、ずずずら~と並び、やっと始まった。
このミュージカルは、“第35代合衆国大統領ケネディの妻、ジャクリーンのエキセントリックな叔母とその娘について”の実話である。華やかな大統領家のイメージとは裏腹に、セレブから没落して、ゴミ屋敷と化したグレイ・ガーデンズ邸で、メディアの好奇にさらされながら生きる母娘の話。
私は実話ものに弱いので、しかも人のチアワセより、不幸モノの方が好きなので(^_^;)割と楽しみにしていった。
一幕は、良かった。
大竹しのぶの定評ある演技を、しかとこの目で見れたことも良かったし、歌唱力がイマイチなのは“歌手に憧れている歌手になれない女性”という位置づけとしては気にならなかった。あとは、個人的に好きじゃない吉野さんのピアニスト役を除いては、皆演技もとても素晴らかった!親子ならではの近しい関係性から対立しながらも、やっぱり親子の縁を捨てることのできない、切っても切れない家族愛が、演技からしっかり読みとれ、セレブな家族の中にもさまざまな問題が浮き彫りになる、その苦しみや心の葛藤など、想像の世界だけど身にしみる話だ。
やっぱり、初日だから、長台詞ばかりの大竹しのぶさんも草笛光子さんも、どもるシーンもあったものの、初日だし致し方あるまい。
が、二幕がよくない。
暗い。痛々しい。取り返しのつかない話…(-"-)私がうなされる原因ともなったこの二幕のストーリー。
荒廃したグレイ・ガーデンズ邸で、グレイガーデンズから抜け出したいと思いながらも、年老いた母を置きざりに出て行けない娘。母とはたびたび対立し、自分の人生を新しく生きたいと思いながらも、結局は生まれ育った場所を捨て切れない。
その家族愛を描きたいのか、排泄物とゴミにあふれ悪臭を放ちながら暮らす、痛々しい親子の暮らしを嘲笑うように描きたいのか、よくわからない。虫が湧いた埃まみれのベットで暮らすシーンは、いくら不幸話が好きな私でも、楽しんでは見れなかった。
見ているうちに、自分と重ねて悪い想像が広がる。
母の病は再び悪化している。母がほとんど動けない状態なので、小まめに掃除洗濯しないとほっといたら、このグレイガーデンズ邸みたいになるんじゃなかろうか…っていう悪夢が頭をよぎる。人間は年をとるし、どうしても動けない体調不良のときだってあるし、それをどうすることもできず、ゴミ屋敷に暮らす親子の話。これはなんだか、笑えない。「だからどうなの?何が言いたいの?」と思う。
アメリカではそういう有名人のゴシップネタが売れるらしい。アメリカ外ではこの日本での公演が初めてのことらしいが、日本でこのストーリーがウケるのか…といわれると、う~ん・・・と頭悩ませてしまう。
開演が押し、休憩も伸び伸びになり、お詫びででてきたペットボトルや休憩中の無料カフェサービスのプチラッキー感を除いては、なんだか暗い気持ちでのご帰宅となった(-"-)
やっぱりミュージカルは悲劇でも不幸な話でもかまわないけど、何か夢や希望をもらえる作品であってほしいと思ってしまった。トニー賞3部門受賞のグレイガーデンズは…素晴らしいキャストの皆様には申し訳ないですが、私には合わない作品でした。。。
今度は楽しい作品観に行こうっと♪♪
Date: Friday, 06 Nov 2009 14:37
そうだ。オトナになろう。
先日仕事場で、とてもテキパキと自然な笑顔で働く素敵な女性に出会ったので、きっと年上に違いないと思った。私より5つは年上だと思った。・・・が、業務終了後にお話したら、私より年下だった。彼女からも言われた。
「うっそー!!全然見えない。相当年下かと思ったー」と。
その時は、妙に嬉しくて、「そっかそっかー。私ってそんなに若いかぁ♪」と、その後会う人会う人に自慢しまくったものの、あとでよくよく考えたら、「若い」って褒め言葉じゃないような気がしてきた。
私が彼女のしっかりとした仕事ぶりを見て、「素敵だ…」=「年上だ…」と思ったのといっしょで、「ボケっとしているしっかりしてない奴」=「年下だ」と思われたような気がしてきたのだ。
なんだかそう考えだしたら止まらなくなり、私のテキトーな仕事ぶりや、対人関係でも子供っぽく接しちゃう性格が次々と思いだされて、「もう三十路なのにヤバい!」と思えてくる。
「お前絶対一人っ子やろ。それか末っ子や。」といわれてしまうのも、会話してて「子供っぽいな~。女子高生か!」って突っ込まれるのも、全部、私の子供っぽい言動にあるのだ…と思った。
とりあへず大人びた雰囲気がでるオトナにならなくてはいかんと思った。取り急ぎ、遠くへ出かけるときは化粧をしようと思った。最近、面倒だからいつもノーメイクでぷらぷらと出かけてしまう。仕事の日はなるべくメイクするように心がけるけど、友達と会うだけの用事のときは、三十路前の大のオトナがすっぴんである( 一一)
つい先日も、劇団の同期と待ち合わせて、丸の内の居酒屋へ。友人はすっぴんの私を見ても、とりあへず突っ込まなかったが、いつもバッチリメイクで決めている彼女はすごくオトナで、とても同い年に思えない。ご飯を食べた後、私は彼女に連れられ、彼女の彼氏とも合流するハメになり、赤坂のバーへ連れて行かれた。
「彼氏と合流するのなら…赤坂に拉致られると知っていたら…メイクしてきたのに…(+_+)」と思った。でも、これがいけないのだ。オトナな女はいつどんなときでも、しっかりメイクをして出かけて然るべきなのだ。どこに出会いが落ちてるかわからないんだから、常に磨いてなきゃいかんらしいのだ。(←オトナ女子談)
案の定、合流した友人の彼氏には「今日、メイクしてないね」といわれ、「だって赤坂くるとは思ってなくて・・・」と弁解したら、「てか、ふつーにしてくださーい」って説教され、ちーん(-"-)と沈んだ。赤坂のバーでかなり濃厚メイクの歌い手たちがいる中、ぽけーっとソファーに座りコーヒーをすするノーメイクの私は、明らかに田舎者のガキが赤坂に迷い込んだ風だった。
これじゃいかんと思った。気品あるオトナな女に変身しなければと思った。突然赤坂のバーに拉致られても、浮かないくらいの女でなければならんと思った。
社会人としてのマナー、オトナとしての距離感のある人との付き合い方、だいぶ年上の方とのやりとりを、しっかりできる基本的なオトナにならなきゃと思った。
この間も、大学の会報誌に寄稿する関係で、歴史の深いお茶大のだいぶ離れた先輩へメールを書くことがあった。たった数行のメールのために、普段は使うことのない“時候の挨拶”から“結びの言葉”をどう使えばいいものか、あぁでもないこぅでもないと言いながら四苦八苦するうちに、相手がどんな方であれサラリと書けるオトナになりたいと思った。
また、一生懸命書いた友人知人へのメールの返事がかなりあっさりだと、これまでは多少のショックを隠せなかったが、これからは「それがオトナの付き合いなのさ」と思うことにしようと思った。
私はオトナになろうとしている。遅ればせながら三十路前にして。
「若い」といわれて無駄に喜び自慢するのはやめよう。年上の方との会話、メールのやりとりもすんなりできるオトナになろう。外出するときはメイクをして、外面は年相応に見えるようにしよう。子供っぽい言動は避け、内面は気品あるオトナ女子を気取るんだ。
うん、そうだ。オトナになろう。
先日仕事場で、とてもテキパキと自然な笑顔で働く素敵な女性に出会ったので、きっと年上に違いないと思った。私より5つは年上だと思った。・・・が、業務終了後にお話したら、私より年下だった。彼女からも言われた。
「うっそー!!全然見えない。相当年下かと思ったー」と。
その時は、妙に嬉しくて、「そっかそっかー。私ってそんなに若いかぁ♪」と、その後会う人会う人に自慢しまくったものの、あとでよくよく考えたら、「若い」って褒め言葉じゃないような気がしてきた。
私が彼女のしっかりとした仕事ぶりを見て、「素敵だ…」=「年上だ…」と思ったのといっしょで、「ボケっとしているしっかりしてない奴」=「年下だ」と思われたような気がしてきたのだ。
なんだかそう考えだしたら止まらなくなり、私のテキトーな仕事ぶりや、対人関係でも子供っぽく接しちゃう性格が次々と思いだされて、「もう三十路なのにヤバい!」と思えてくる。
「お前絶対一人っ子やろ。それか末っ子や。」といわれてしまうのも、会話してて「子供っぽいな~。女子高生か!」って突っ込まれるのも、全部、私の子供っぽい言動にあるのだ…と思った。
とりあへず大人びた雰囲気がでるオトナにならなくてはいかんと思った。取り急ぎ、遠くへ出かけるときは化粧をしようと思った。最近、面倒だからいつもノーメイクでぷらぷらと出かけてしまう。仕事の日はなるべくメイクするように心がけるけど、友達と会うだけの用事のときは、三十路前の大のオトナがすっぴんである( 一一)
つい先日も、劇団の同期と待ち合わせて、丸の内の居酒屋へ。友人はすっぴんの私を見ても、とりあへず突っ込まなかったが、いつもバッチリメイクで決めている彼女はすごくオトナで、とても同い年に思えない。ご飯を食べた後、私は彼女に連れられ、彼女の彼氏とも合流するハメになり、赤坂のバーへ連れて行かれた。
「彼氏と合流するのなら…赤坂に拉致られると知っていたら…メイクしてきたのに…(+_+)」と思った。でも、これがいけないのだ。オトナな女はいつどんなときでも、しっかりメイクをして出かけて然るべきなのだ。どこに出会いが落ちてるかわからないんだから、常に磨いてなきゃいかんらしいのだ。(←オトナ女子談)
案の定、合流した友人の彼氏には「今日、メイクしてないね」といわれ、「だって赤坂くるとは思ってなくて・・・」と弁解したら、「てか、ふつーにしてくださーい」って説教され、ちーん(-"-)と沈んだ。赤坂のバーでかなり濃厚メイクの歌い手たちがいる中、ぽけーっとソファーに座りコーヒーをすするノーメイクの私は、明らかに田舎者のガキが赤坂に迷い込んだ風だった。
これじゃいかんと思った。気品あるオトナな女に変身しなければと思った。突然赤坂のバーに拉致られても、浮かないくらいの女でなければならんと思った。
社会人としてのマナー、オトナとしての距離感のある人との付き合い方、だいぶ年上の方とのやりとりを、しっかりできる基本的なオトナにならなきゃと思った。
この間も、大学の会報誌に寄稿する関係で、歴史の深いお茶大のだいぶ離れた先輩へメールを書くことがあった。たった数行のメールのために、普段は使うことのない“時候の挨拶”から“結びの言葉”をどう使えばいいものか、あぁでもないこぅでもないと言いながら四苦八苦するうちに、相手がどんな方であれサラリと書けるオトナになりたいと思った。
また、一生懸命書いた友人知人へのメールの返事がかなりあっさりだと、これまでは多少のショックを隠せなかったが、これからは「それがオトナの付き合いなのさ」と思うことにしようと思った。
私はオトナになろうとしている。遅ればせながら三十路前にして。
「若い」といわれて無駄に喜び自慢するのはやめよう。年上の方との会話、メールのやりとりもすんなりできるオトナになろう。外出するときはメイクをして、外面は年相応に見えるようにしよう。子供っぽい言動は避け、内面は気品あるオトナ女子を気取るんだ。
うん、そうだ。オトナになろう。
Date: Monday, 02 Nov 2009 01:31
観たど~。とうとうThis is it見てきたど~。
…って、もうすでに友人たちのブログのタイトルが「This is it」になってるのを、いくつも見てしまったし、知人からも映画見ての感想メールたくさんもらっちゃったし、全米では1日の興収ナンバーワンになったみたいだし、日本の映画館でも一日の動員記録である『崖の上のポニョ』を500名近く上回る記録を打ち出したみたいだし、UFOはすっかり出遅れた感たっぷりである。
昨日は朝から急遽頼まれたヨガレッスンを終えると、すぐさま電車に飛び乗り、歌出稼ぎに都内某所へ。クッタクタに疲れたところ、友人らと待ち合わせている横浜の映画館へ急ぐ。なんだか疲れてしまったので、電車の中で爆睡したかったが、これからマイコー映画を観るという期待が、眠気を邪魔していまいち寝れなかった。いつも10倍以上もするお値段の舞台を見る時は、電車の中で爆睡できるのに、このモチベーションの違いはなんなんだろう…と思う。
マイコー映画は、結局身近な仲良しフレンドのみで見ることになる。自称マイケルファン3人(含私)と、ほぼ付き合い的なノリの、それほどマイケルファンでもない1人と計4人での映画鑑賞。
映画館につくと、その回もその前後の回も“売り切れ御免”のお札が貼ってあって、張り切って4人並びの席を確保しといた私に「でかしたぞ!」と自分でほめた。さっさと確保しておいた席のチケットを発券して、ロビーで待ちながら、私はここのところずっと持ち運んでいる、『マイケルジャクソン裁判』の分厚い本を、これ見よがしに広げた。前回のマイコー映画が終了し、観客が出てくる通路で、「私、こんなマイケル愛してるんだぜ~。こんな本あるんだぜ~。マイコーのイメージをことごとく崩していったあの裁判は、ほぼ周囲の妬みや金目当てのきたない民どものでっち上げなんだぜ~」ってことを、マイコーファン歴3か月の私が、ちょっと映画だけ見にきた、なんちゃってマイコーファン達に知らしめようと、わざわざ背表紙を皆に向けて読んでいた。
…が、やはり『マイケルジャクソン裁判』とでかでかと書かれた本は気になるのか、こちらに向けられる他人の視線が徐々に恥ずかしくなり、そそくさとしまった(-"-)
This is itは、いろんな人から「泣くよ。タオル持参で行った方がいいよ~」といわれてたけど、、、泣かなかった。。。映画で泣いたという前例がない私の体質(?)もあるけど、不思議とスクリーンの中のマイコーが、もうこの世にいないんだ…って実感は、見てるときはわいてこなかった。マイコーが最後に残してくれた、神のようなダンスや歌声と、ステージに向けるどこまでも真摯な姿勢と、地球やファンに向ける深い愛は、すべて私の“想定内”であった。
50歳になっても、裁判沙汰になって表舞台に立てない時期が続いても、マイコーの歌声やダンス力が落ちているわけがないし、ステージを完璧に仕上げる演出家としての、音楽を魂で作りだすクリエイターとしてのコダワリは、感心や尊敬といった感情はなく、私としては“当たり前”なのだった。
…だってマイコーだもん!!
彼の舞台のために集まった精鋭ダンサーたちやミュージシャン、そして一流のスタッフ陣。皆がマイケルを尊敬し、愛し、彼と共に仕事をすることに最高の喜びを感じている。彼らの熱い思いも胸にこみあげるものがあり、こんなにも皆に愛されるマイコーが、一方で妬みや僻み、恨みを買い、ひどい裏切りをくらう人生を送った事実(※「マイケルジャクソン裁判」参照)への矛盾が、私の心をずっともやもやさせていた。マイコーがいつどんなときも善人で正しかった人だとは思わない。あそこまでの人だもの、気も強いし、一流上のイザコザや対立もあるだろう。
でも、未だ衰えていないパフォーマンスを観ながら、世界がマイケルをステージに立たせなかった時間が長すぎたことが、ひどく残念でならなかった。
しかしながら…なんだかんだ言いつつも、マイコーが常に元気で音楽活動を続けていたら、私はきっとマイケルの存在に気づかずに人生を歩んでただろうと思う。私が、彼の素晴らしさに気づかされたのは、“彼が亡くなった”からなのだ。これは変えることのできない事実だ。
「死」をもってしか、世界の人々の心を呼び戻せなかった、、、また彼に攻撃を加えた周りの民どもを見返せなかった彼の皮肉な人生を、ただただ無念に思う。
でも私的には、マイコーを知れたことは、マイケルの皮肉な人生とは裏腹に、私の人生に感謝しようと思うのだ。
映画は素晴らしかったし、また見たいとも思う。…が、ただ一点。なんとなく付き合いできた、さほどマイコーファンではない友達のためにも、曲の日本語訳を載せてくれててもいいかなと思った。全ての曲についちゃうと知ってる人にとっては目ざわりなんだけど、マイケルの曲はそのメッセージ性に強烈なインパクトがあるものもある。私のようにマニアックになってしまえば、イントロどんから、その曲と歌詞の内容とイメージが自動的に流れるくらい熟知できてるけど、そうでない人にはわからない。いくらマイコーが曲前に自分の思いをインタビューで話していても、実際歌い始めた曲がどんな歌詞になってるのかわからなければ、一般の人からすれば「???」になってしまう。
私にとっては、片時も目を離す瞬間のなかった映画でありながら、付き合いできた友達は3回ほど眠りに落ちそうだったという。ということは、いくら「この映画は最高だ!!」って豪語しても、さほどマイコーに興味のない人からしてみればこの映画の本当の良さはわからないかもしれない。
だから、私は別にこの映画をむやみやたら周りの人にすすめようとは思わない。動員客数がすごいことだって、きっとリピーターがたくさんいることと思う。
「This is it」はマイケルの偉大さが全面に打ち出されたスゲー作品だと思う。
でも、あえてベタ褒めの友人たちのブログに対抗(?)し、ちょっと斜に構えた感想でのブログ更新をしてみる。タイトルもあえて平仮名にしちゃったりする。
…と、なんだかんだ言いながら、2週間上映伸びたマイコー映画に、来週また乗り込む気満々のUFOなのでありました~(〃 ̄ω ̄〃ゞ てへ。(←リピーター)
…って、もうすでに友人たちのブログのタイトルが「This is it」になってるのを、いくつも見てしまったし、知人からも映画見ての感想メールたくさんもらっちゃったし、全米では1日の興収ナンバーワンになったみたいだし、日本の映画館でも一日の動員記録である『崖の上のポニョ』を500名近く上回る記録を打ち出したみたいだし、UFOはすっかり出遅れた感たっぷりである。
昨日は朝から急遽頼まれたヨガレッスンを終えると、すぐさま電車に飛び乗り、歌出稼ぎに都内某所へ。クッタクタに疲れたところ、友人らと待ち合わせている横浜の映画館へ急ぐ。なんだか疲れてしまったので、電車の中で爆睡したかったが、これからマイコー映画を観るという期待が、眠気を邪魔していまいち寝れなかった。いつも10倍以上もするお値段の舞台を見る時は、電車の中で爆睡できるのに、このモチベーションの違いはなんなんだろう…と思う。
マイコー映画は、結局身近な仲良しフレンドのみで見ることになる。自称マイケルファン3人(含私)と、ほぼ付き合い的なノリの、それほどマイケルファンでもない1人と計4人での映画鑑賞。
映画館につくと、その回もその前後の回も“売り切れ御免”のお札が貼ってあって、張り切って4人並びの席を確保しといた私に「でかしたぞ!」と自分でほめた。さっさと確保しておいた席のチケットを発券して、ロビーで待ちながら、私はここのところずっと持ち運んでいる、『マイケルジャクソン裁判』の分厚い本を、これ見よがしに広げた。前回のマイコー映画が終了し、観客が出てくる通路で、「私、こんなマイケル愛してるんだぜ~。こんな本あるんだぜ~。マイコーのイメージをことごとく崩していったあの裁判は、ほぼ周囲の妬みや金目当てのきたない民どものでっち上げなんだぜ~」ってことを、マイコーファン歴3か月の私が、ちょっと映画だけ見にきた、なんちゃってマイコーファン達に知らしめようと、わざわざ背表紙を皆に向けて読んでいた。
…が、やはり『マイケルジャクソン裁判』とでかでかと書かれた本は気になるのか、こちらに向けられる他人の視線が徐々に恥ずかしくなり、そそくさとしまった(-"-)
This is itは、いろんな人から「泣くよ。タオル持参で行った方がいいよ~」といわれてたけど、、、泣かなかった。。。映画で泣いたという前例がない私の体質(?)もあるけど、不思議とスクリーンの中のマイコーが、もうこの世にいないんだ…って実感は、見てるときはわいてこなかった。マイコーが最後に残してくれた、神のようなダンスや歌声と、ステージに向けるどこまでも真摯な姿勢と、地球やファンに向ける深い愛は、すべて私の“想定内”であった。
50歳になっても、裁判沙汰になって表舞台に立てない時期が続いても、マイコーの歌声やダンス力が落ちているわけがないし、ステージを完璧に仕上げる演出家としての、音楽を魂で作りだすクリエイターとしてのコダワリは、感心や尊敬といった感情はなく、私としては“当たり前”なのだった。
…だってマイコーだもん!!
彼の舞台のために集まった精鋭ダンサーたちやミュージシャン、そして一流のスタッフ陣。皆がマイケルを尊敬し、愛し、彼と共に仕事をすることに最高の喜びを感じている。彼らの熱い思いも胸にこみあげるものがあり、こんなにも皆に愛されるマイコーが、一方で妬みや僻み、恨みを買い、ひどい裏切りをくらう人生を送った事実(※「マイケルジャクソン裁判」参照)への矛盾が、私の心をずっともやもやさせていた。マイコーがいつどんなときも善人で正しかった人だとは思わない。あそこまでの人だもの、気も強いし、一流上のイザコザや対立もあるだろう。
でも、未だ衰えていないパフォーマンスを観ながら、世界がマイケルをステージに立たせなかった時間が長すぎたことが、ひどく残念でならなかった。
しかしながら…なんだかんだ言いつつも、マイコーが常に元気で音楽活動を続けていたら、私はきっとマイケルの存在に気づかずに人生を歩んでただろうと思う。私が、彼の素晴らしさに気づかされたのは、“彼が亡くなった”からなのだ。これは変えることのできない事実だ。
「死」をもってしか、世界の人々の心を呼び戻せなかった、、、また彼に攻撃を加えた周りの民どもを見返せなかった彼の皮肉な人生を、ただただ無念に思う。
でも私的には、マイコーを知れたことは、マイケルの皮肉な人生とは裏腹に、私の人生に感謝しようと思うのだ。
映画は素晴らしかったし、また見たいとも思う。…が、ただ一点。なんとなく付き合いできた、さほどマイコーファンではない友達のためにも、曲の日本語訳を載せてくれててもいいかなと思った。全ての曲についちゃうと知ってる人にとっては目ざわりなんだけど、マイケルの曲はそのメッセージ性に強烈なインパクトがあるものもある。私のようにマニアックになってしまえば、イントロどんから、その曲と歌詞の内容とイメージが自動的に流れるくらい熟知できてるけど、そうでない人にはわからない。いくらマイコーが曲前に自分の思いをインタビューで話していても、実際歌い始めた曲がどんな歌詞になってるのかわからなければ、一般の人からすれば「???」になってしまう。
私にとっては、片時も目を離す瞬間のなかった映画でありながら、付き合いできた友達は3回ほど眠りに落ちそうだったという。ということは、いくら「この映画は最高だ!!」って豪語しても、さほどマイコーに興味のない人からしてみればこの映画の本当の良さはわからないかもしれない。
だから、私は別にこの映画をむやみやたら周りの人にすすめようとは思わない。動員客数がすごいことだって、きっとリピーターがたくさんいることと思う。
「This is it」はマイケルの偉大さが全面に打ち出されたスゲー作品だと思う。
でも、あえてベタ褒めの友人たちのブログに対抗(?)し、ちょっと斜に構えた感想でのブログ更新をしてみる。タイトルもあえて平仮名にしちゃったりする。
…と、なんだかんだ言いながら、2週間上映伸びたマイコー映画に、来週また乗り込む気満々のUFOなのでありました~(〃 ̄ω ̄〃ゞ てへ。(←リピーター)
Date: Thursday, 29 Oct 2009 14:25
うぅ~。やっぱりマイコーの映画、初日に乗り込むべきだったか…(@_@)
見に行く日は決まってるし、映画館の席も一週間前に予約したし、準備はバッチリなんだけど、初日に乗り込んだ人のネット情報が飛び交っているのが、いちいち気になってしまう。ニュースの報道を見ると、もうすでに見た人がいるにもかかわらず、まだ見れてない自分がもどかしい。
もうこの思いは、M-1や高校生クイズは録画でなくて、何が何でもオンタイムに見たいというわけのわからんコダワリと同じである。
映画館内に拍手が沸き起こったり、グッズを買いながら泣いてる人がいっぱいだったりするそうである。そんな映画に巡り合ったことがない。テレビではテリーさんが「楽しみだけど、なんだか切ないよね。涙なしには見れないんじゃないかなぁ~」みたいなことを言ってた。確かに~。切なすぎて泣いちゃうかもしれん。目をそむけちゃうかもしれん。すごすぎて世界が失ったものの重さをかみしめちゃって余計悲しくなるかもしれん。。。
一緒に行く友達からも「私、泣いちゃったりしてー」って予告がきた。こうなったらいっしょに号泣しようと思う。
先日のヨガの飲み会でも、一部のマイコーファンでマイコー話ばっかりで盛り上がる。特にマイコーに興味のない人まで巻き込んで盛り上がる。マイコーファンの一人が言う。
「私、死ぬの怖くなくなりましたもん。マイケルに会えるじゃないですか~」と。
ほんとに死んだら会えるのかな。…ってか、死んで会うより、生きてる間にもっともっとマイケルの功績を見たり聞いたり調べたり読んだりしたい。
う~ん。。。いくらマイコーに会えるって言ってもやっぱり・・・死にたくない!!(+_+)
特に貪欲というわけでもなく、物欲や明確な目標もあるわけではなく、1分たりとも時間を無駄にしない生き方をしているわけでもなく、なんとなく毎日ぽけ~っと生活してる割には生への執着が大きい。・・・というか、毎日ぽけ~っとしてるからこそ、ストレスもたまらず、嫌な目にあうこともなく、このままノンストレスでのほほんといつまでもいつまで~も生きてたいと思っちゃうのだ。
不謹慎かもしれないけれど、私は自殺ができる人がうらやましいと思う。毎日生きていくのが苦しすぎて、辛すぎて、この世には何の未練もなくなって、悔いなく死んでいけるのなら、うらやましいとさえ思う。「ちょっとその考え歪んでない?」「何言ってんねん」って突っ込まれるのはわかってる。でも、私は悔いなくお亡くなりになるために、徐々に自分に不幸な空気を送りこみ…そして、死にたくなるほどの試練を与えていかなければならん・・・と思っている(-"-)
思えば、バカみたいに勉強してた受験生時代も、夢に向かって必死だった劇団時代も、それなりに毎日充実はしていたけれど、口では「うえぇ~。もうやだ~。死にてぇ~。死にてぇ~」って冗談だったかもしれないけど、口にしてた。
世の中には、いつ死んでもいいように悔いのないように毎日楽しく過ごしたり、毎日自分を追い込んで忙しくしてたりする人がいる一方で、私は、自分を追い込まず、やたらのほほんと生活し、特にあれしたいこれしたい、あれ欲しいこれ欲しいって言わずに、仙人のように生活しますので、長生きさせてくだせぇ!ってタイプの人である。
時というのは残酷だ。
若いころは、失恋した友達に「時間がたてば忘れられるよ。時間は味方だから」なんて、決まり文句のように言ってたけど、年を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎ去るということがどれだけ残酷かということを、うすうす感じとっている。
体が重くて動けないときや、私の人生に“結婚”や“子供”が必要か不必要か考えるとき、「タ~イム!!!」と叫びたくなる。時間に一瞬止まってもらって、不調なときや考え事の時間を丸々排除できるなら、もっと毎日サクサクっと要領よく過ごせるかもしれない。
でも時間は残酷だから、そんなことはしてくれない。
だからこそ、何十年後かの自分に向けて、自分を追い込まなくてはいけないと思っている。
大切な家族や友達と離れ離れになって孤独を肌で感じたり、のりピーみたいに社会の歴史に残る大失態をおかしたり、マイコーみたいに、冤罪で何年もの間、裁判に巻き込まれて、本業に復活することさえできない状況においこまれたり。。。
そんな世の中に対する諦めや苦痛を味わえば、私はマイコーみたいに強くないので、「もういいっす。この世に悔いないっす。ちーん(-.-)」ってお亡くなりになれると思う。
そんなこんなで、マイコー映画を観るにあたり、やっぱり生と死を考えずにはいられない。マイコー映画は、のほほん気質な私に、カツを与えてくれるパワーを送ってくれるだろうか。私がもういつ死んでもいいや~って思えるくらい、自分を追い込むまで何かを頑張ろうとするエネルギーを与えてくれるだろうか。。。
UFOは日曜日、、、映画館に泣きに逝きます。。(┳∧┳)
見に行く日は決まってるし、映画館の席も一週間前に予約したし、準備はバッチリなんだけど、初日に乗り込んだ人のネット情報が飛び交っているのが、いちいち気になってしまう。ニュースの報道を見ると、もうすでに見た人がいるにもかかわらず、まだ見れてない自分がもどかしい。
もうこの思いは、M-1や高校生クイズは録画でなくて、何が何でもオンタイムに見たいというわけのわからんコダワリと同じである。
映画館内に拍手が沸き起こったり、グッズを買いながら泣いてる人がいっぱいだったりするそうである。そんな映画に巡り合ったことがない。テレビではテリーさんが「楽しみだけど、なんだか切ないよね。涙なしには見れないんじゃないかなぁ~」みたいなことを言ってた。確かに~。切なすぎて泣いちゃうかもしれん。目をそむけちゃうかもしれん。すごすぎて世界が失ったものの重さをかみしめちゃって余計悲しくなるかもしれん。。。
一緒に行く友達からも「私、泣いちゃったりしてー」って予告がきた。こうなったらいっしょに号泣しようと思う。
先日のヨガの飲み会でも、一部のマイコーファンでマイコー話ばっかりで盛り上がる。特にマイコーに興味のない人まで巻き込んで盛り上がる。マイコーファンの一人が言う。
「私、死ぬの怖くなくなりましたもん。マイケルに会えるじゃないですか~」と。
ほんとに死んだら会えるのかな。…ってか、死んで会うより、生きてる間にもっともっとマイケルの功績を見たり聞いたり調べたり読んだりしたい。
う~ん。。。いくらマイコーに会えるって言ってもやっぱり・・・死にたくない!!(+_+)
特に貪欲というわけでもなく、物欲や明確な目標もあるわけではなく、1分たりとも時間を無駄にしない生き方をしているわけでもなく、なんとなく毎日ぽけ~っと生活してる割には生への執着が大きい。・・・というか、毎日ぽけ~っとしてるからこそ、ストレスもたまらず、嫌な目にあうこともなく、このままノンストレスでのほほんといつまでもいつまで~も生きてたいと思っちゃうのだ。
不謹慎かもしれないけれど、私は自殺ができる人がうらやましいと思う。毎日生きていくのが苦しすぎて、辛すぎて、この世には何の未練もなくなって、悔いなく死んでいけるのなら、うらやましいとさえ思う。「ちょっとその考え歪んでない?」「何言ってんねん」って突っ込まれるのはわかってる。でも、私は悔いなくお亡くなりになるために、徐々に自分に不幸な空気を送りこみ…そして、死にたくなるほどの試練を与えていかなければならん・・・と思っている(-"-)
思えば、バカみたいに勉強してた受験生時代も、夢に向かって必死だった劇団時代も、それなりに毎日充実はしていたけれど、口では「うえぇ~。もうやだ~。死にてぇ~。死にてぇ~」って冗談だったかもしれないけど、口にしてた。
世の中には、いつ死んでもいいように悔いのないように毎日楽しく過ごしたり、毎日自分を追い込んで忙しくしてたりする人がいる一方で、私は、自分を追い込まず、やたらのほほんと生活し、特にあれしたいこれしたい、あれ欲しいこれ欲しいって言わずに、仙人のように生活しますので、長生きさせてくだせぇ!ってタイプの人である。
時というのは残酷だ。
若いころは、失恋した友達に「時間がたてば忘れられるよ。時間は味方だから」なんて、決まり文句のように言ってたけど、年を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎ去るということがどれだけ残酷かということを、うすうす感じとっている。
体が重くて動けないときや、私の人生に“結婚”や“子供”が必要か不必要か考えるとき、「タ~イム!!!」と叫びたくなる。時間に一瞬止まってもらって、不調なときや考え事の時間を丸々排除できるなら、もっと毎日サクサクっと要領よく過ごせるかもしれない。
でも時間は残酷だから、そんなことはしてくれない。
だからこそ、何十年後かの自分に向けて、自分を追い込まなくてはいけないと思っている。
大切な家族や友達と離れ離れになって孤独を肌で感じたり、のりピーみたいに社会の歴史に残る大失態をおかしたり、マイコーみたいに、冤罪で何年もの間、裁判に巻き込まれて、本業に復活することさえできない状況においこまれたり。。。
そんな世の中に対する諦めや苦痛を味わえば、私はマイコーみたいに強くないので、「もういいっす。この世に悔いないっす。ちーん(-.-)」ってお亡くなりになれると思う。
そんなこんなで、マイコー映画を観るにあたり、やっぱり生と死を考えずにはいられない。マイコー映画は、のほほん気質な私に、カツを与えてくれるパワーを送ってくれるだろうか。私がもういつ死んでもいいや~って思えるくらい、自分を追い込むまで何かを頑張ろうとするエネルギーを与えてくれるだろうか。。。
UFOは日曜日、、、映画館に泣きに逝きます。。(┳∧┳)
Date: Friday, 23 Oct 2009 01:04
名古屋から突然の出張で友達が来ると連絡があったので、急遽泊ってってもらった。普段、予定通りに動かないとダメなタイプの私としては珍しく、突然の訪問に突然ノった。彼女とは、出張とか遊びとかで、たま~に会うくらいの仲なのに、会うとずっと一緒にいたような錯覚に陥る不思議な間柄の友達である。だから、そうこうして年に1、2度会うくらいの友達なのに、もう10年くらいの古い友達である。
家へくるとなって、改めて家の掃除をした。その瞬発力たるやすごかった。窓も鏡も洗面台もピッカピカになった。最近、お掃除おばちゃんと化している私は、毎日せっせと細かいところを掃除している。駅前の高層マンションといえど、なんだかんだで築15年以上経過してる我が家は、少しずつ古くなってるところあり、とんでもなく埃がたまっているところあり、掃除しがいのあるお家である。今日はココ、明日はココ、、と自分の中で、場所を割り振って掃除をしていくと、1か所1か所、明らかにどんどん綺麗になっていくので、部屋の中が自然と明るくなってくる。曇ってた窓ガラスを一掃するだけで、洗面台をちょっと磨いて、モノをきれいに整頓するだけで、こうも違うのか…と気分まで明るくなってくる。風水とかあまり調べたこともなかったし、信用もしてないけど、良い「気」を呼び込むという点でお掃除は一番だと思われる。
友達が洗面台をのぞいて「ピッカピカだねぇ~☆」と感動している。さらに昨晩作っておいた、熟成(?)手料理カレーを御馳走すると「うまいうまい!」と言って、平らげてくれた。カレーをまずく作る人を私は知らないが、われながら我が家のカレーは、有名外食店を含めてもなお美味いと自負している。
そんなわけで最近は、「実は私、主婦向きなんじゃなかろうか…」と思っている。いえ、前からうすうす気づいてはいたんだけど、最近のお掃除&お料理力を見るや、どうやら間違いないかもしれない。
世の中には、どうしても片付けられない女性や、頑張っても料理の素質がない人がいる中で、私は割となんでもソツなくこなせちゃうタイプなんだと自信すら抱いている。
…が、結婚はしないんだと思う。
普通の女性が、普通に芽生える結婚願望が三十路前にしてまだ生まれてこないのである。一人が大好きなのである。(今のところ)一人がさみしいとは全く思わないのだ。こんなご時世だから、自分の身は自分で守ろうと思うのである。
主婦友達が、年賀状のことで悩んでいる。家族写真年賀を送ると、独身女性の友達に嫌味に思われるから写真付きと文字だけのと2種類作ろうか…とも言っている。
「へぇ~。世間の独身女子はそんなものなのか。」と思った。「友達の家族写真を妬ましく思うのか…」と。結婚願望のない私は、その妬みの気持ちも、年賀状を2種類作ろうかと悩んでいる友達の気持ちもまったくわからない次元の話だった。むしろ私は、友達の家族写真を楽しんで集めちゃうタイプである。自分は何も変わらないのに、変わりゆく友達たちの姿を、遠いところでほほえましく見守っちゃうタイプのミカエル的(?)人間である。
結婚はいろいろあると思う。そういう長い時間を経て、ひずみができたり、また絆が生まれたりするんだと思う。子供が生まれればなお、自分の分身の誕生に、心が震えるほどの感動や言葉では言い尽くせない愛おしさを感じるんだと思う。
それを私は周りの友達や家族や親せきから客観的に感じている。
子供がいる喜びと大変さ、パートナーがいる楽しさと面倒くささ。一人でいるときの自由と孤独。。。
「結婚」はさておき、「子供」のいない人生ってのは、何かが大きく変わると思う。必修単位を落としてしまった大学生のような、リンゴが落ちるのを見なかったニュートンのような…、テレビが見れないパソコンのような…。
義姉とカラオケに行って、松田聖子の『私だけの天使~Angel~』(←娘のことを歌った母の歌)を泣きそうになりながら歌って、私は義姉に言った。
「私の人生が、子供を産まない人生になっちゃったとしても、、、仕方ないっすよねぇ!??」
姉は答えた。「一緒に健ちゃん(←甥っ子)育てよう!家も近くなんだしね!!」
晩婚だった姉は割と三十路前後の妹(私)の気持ちを分かってくれている。ただひとつ大きく違うところは、義姉は結婚願望は少しはあったのに対し、私には全くないことだ(-"-)
友人が「結婚しない人と結婚できない人は違うよね」と言った。でも私に言わせてみれば、「しない人」=「できない人」だ。私がその証拠だ。ただ、結婚できないイタイ人と思われるよりは、ごくごく親しい人だけにでも、「器量がよくて掃除も洗濯も料理もできるいい娘なのに、なんで結婚しなかったのかしらねぇ~?」って不思議に思われる存在ではありたい。けして、「あぁいう娘は結婚できないわけよねぇ~」と誰が見ても思われる人になってはいけない。
だから私は今日もお掃除おばちゃんと化すのだ。「私って完全に主婦向きだよねぇ~」って自己陶酔しながら部屋をピッカピカにするのだ。
そう。私は「結婚できない人」ではなくて「結婚しない人」なのだから!
おほほほほ~o( ̄ ^  ̄ o)
家へくるとなって、改めて家の掃除をした。その瞬発力たるやすごかった。窓も鏡も洗面台もピッカピカになった。最近、お掃除おばちゃんと化している私は、毎日せっせと細かいところを掃除している。駅前の高層マンションといえど、なんだかんだで築15年以上経過してる我が家は、少しずつ古くなってるところあり、とんでもなく埃がたまっているところあり、掃除しがいのあるお家である。今日はココ、明日はココ、、と自分の中で、場所を割り振って掃除をしていくと、1か所1か所、明らかにどんどん綺麗になっていくので、部屋の中が自然と明るくなってくる。曇ってた窓ガラスを一掃するだけで、洗面台をちょっと磨いて、モノをきれいに整頓するだけで、こうも違うのか…と気分まで明るくなってくる。風水とかあまり調べたこともなかったし、信用もしてないけど、良い「気」を呼び込むという点でお掃除は一番だと思われる。
友達が洗面台をのぞいて「ピッカピカだねぇ~☆」と感動している。さらに昨晩作っておいた、熟成(?)手料理カレーを御馳走すると「うまいうまい!」と言って、平らげてくれた。カレーをまずく作る人を私は知らないが、われながら我が家のカレーは、有名外食店を含めてもなお美味いと自負している。
そんなわけで最近は、「実は私、主婦向きなんじゃなかろうか…」と思っている。いえ、前からうすうす気づいてはいたんだけど、最近のお掃除&お料理力を見るや、どうやら間違いないかもしれない。
世の中には、どうしても片付けられない女性や、頑張っても料理の素質がない人がいる中で、私は割となんでもソツなくこなせちゃうタイプなんだと自信すら抱いている。
…が、結婚はしないんだと思う。
普通の女性が、普通に芽生える結婚願望が三十路前にしてまだ生まれてこないのである。一人が大好きなのである。(今のところ)一人がさみしいとは全く思わないのだ。こんなご時世だから、自分の身は自分で守ろうと思うのである。
主婦友達が、年賀状のことで悩んでいる。家族写真年賀を送ると、独身女性の友達に嫌味に思われるから写真付きと文字だけのと2種類作ろうか…とも言っている。
「へぇ~。世間の独身女子はそんなものなのか。」と思った。「友達の家族写真を妬ましく思うのか…」と。結婚願望のない私は、その妬みの気持ちも、年賀状を2種類作ろうかと悩んでいる友達の気持ちもまったくわからない次元の話だった。むしろ私は、友達の家族写真を楽しんで集めちゃうタイプである。自分は何も変わらないのに、変わりゆく友達たちの姿を、遠いところでほほえましく見守っちゃうタイプのミカエル的(?)人間である。
結婚はいろいろあると思う。そういう長い時間を経て、ひずみができたり、また絆が生まれたりするんだと思う。子供が生まれればなお、自分の分身の誕生に、心が震えるほどの感動や言葉では言い尽くせない愛おしさを感じるんだと思う。
それを私は周りの友達や家族や親せきから客観的に感じている。
子供がいる喜びと大変さ、パートナーがいる楽しさと面倒くささ。一人でいるときの自由と孤独。。。
「結婚」はさておき、「子供」のいない人生ってのは、何かが大きく変わると思う。必修単位を落としてしまった大学生のような、リンゴが落ちるのを見なかったニュートンのような…、テレビが見れないパソコンのような…。
義姉とカラオケに行って、松田聖子の『私だけの天使~Angel~』(←娘のことを歌った母の歌)を泣きそうになりながら歌って、私は義姉に言った。
「私の人生が、子供を産まない人生になっちゃったとしても、、、仕方ないっすよねぇ!??」
姉は答えた。「一緒に健ちゃん(←甥っ子)育てよう!家も近くなんだしね!!」
晩婚だった姉は割と三十路前後の妹(私)の気持ちを分かってくれている。ただひとつ大きく違うところは、義姉は結婚願望は少しはあったのに対し、私には全くないことだ(-"-)
友人が「結婚しない人と結婚できない人は違うよね」と言った。でも私に言わせてみれば、「しない人」=「できない人」だ。私がその証拠だ。ただ、結婚できないイタイ人と思われるよりは、ごくごく親しい人だけにでも、「器量がよくて掃除も洗濯も料理もできるいい娘なのに、なんで結婚しなかったのかしらねぇ~?」って不思議に思われる存在ではありたい。けして、「あぁいう娘は結婚できないわけよねぇ~」と誰が見ても思われる人になってはいけない。
だから私は今日もお掃除おばちゃんと化すのだ。「私って完全に主婦向きだよねぇ~」って自己陶酔しながら部屋をピッカピカにするのだ。
そう。私は「結婚できない人」ではなくて「結婚しない人」なのだから!
おほほほほ~o( ̄ ^  ̄ o)
Date: Wednesday, 14 Oct 2009 12:38
予告通り(?)、10月12日マチネ公演帝国劇場にてミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た。う~ん。やっぱり不朽の名作!!レミゼ、サイゴンは間違いないっす。「屋根の上~」では、「間延びだな~。早く終わらないかな~」って思っちゃうところもしばしばあるが、レミゼは3時間があっという間。いい作品は何度見てもやっぱりいいっす。はい。
今回はちょっと前にLIVEでご一緒した松原さんアンジョルラスを拝見するため、松原さんが出る日だけをピックアップして、なおかつ他のキャストは今まで見たことのないキャストの組み合わせで公演日を選んだ。
今回は客席にSMAPもいなかったし(笑)、かーなーり集中して観劇できたので、キャストの感想を率直に正直に辛口になってもありのままを書こうと思う。(出演者のお友達は気分を害す可能性もあるので見ない方がいいかも~^_^;)
ジャンバルジャン(今井清隆)…意外にも初見。他の作品ではたくさん見てるけど、とにかく彼の歌唱力ならバルジャンも素晴らしいだろうという思いで見た。・・・が、「疲れてるのかしら…」と思った。いや、疲れててくれと思った。私が昔、サイゴンのジョン役の彼の声に酔いしれて、2,3日恋をしたあの声じゃないー。なんか迫りくるものがない。もっと聴かせてほしい時に聴かせてもらえない。もう年で声が出なくなっちゃった・・・?(@_@。とまで思う。。。う~ん。歌唱力にあぐらをかいて芝居ができてない山口ヴァルジャンも、歌唱力が足りないであろう別所ヴァルジャンも、あまり見たいと思わないから、次回は復活今井ヴァルジャンでリベンジか、はたまたサイゴンで素晴らしかった橋本ヴァルジャンで見たいと思う。
ジャベール(岡幸次郎)…素晴らしいー!!オカコーサイコー!!いや~どんな作品でも何の役でもオカコー素晴らしすぎる!!彼が出てるレミゼと出てないレミゼでは、舞台全体のクオリティが変わってくるとさえ思う。
こんなベタ褒めの私ですが、けしてオカコーファンというわけじゃなく、だいぶ昔に共演した時も、どちらかというといじめられた(いじられた?)経験から、ご贔屓に彼を応援するような良好な間柄ではないのだが(^_^;)、そういうしがらみを含めても彼の圧倒的な存在感と、ずば抜けた歌声に毎回鳥肌が立つ。これまでジャベール役の人で、心を射止められる人なんて居なかったから、この役自体思い入れがなかったんだけど、これまでのジャベール像が覆された。な~んて素晴らしい役なんでしょう。間違いなくオカコーはナンバー1ジャベールである。(他のキャストの人全部見てないけど間違いない。)
エポニーヌ(坂本真綾)…観たことないから楽しみだった。…が、いまいちだった。歌唱力はそれなりだったけど、見た目が。。顔が大きくて、背が小さめで小太りなイメージ。これまでのエポ役の可憐な感じとは違った。。三枚目役でもない限り、実力があっても見た目がいまいちだとやっぱりなんだか冷めてしまうのだ。これ、舞台の怖いところ。ごめんですが、これが学芸会だったらすごいうまい人!って思うけど、帝劇で見ると上手な素人が出てる風な印象を受けてしまった。。。
ファンティーヌ(今井麻緒子)…綺麗なお方!坂本さんもそうだけど、バストアップの写真と、実際舞台で見る全体像とでは、だいぶイメージが違うなぁ~というのが、今回の女性キャストの印象。つまり・・・パンフの写真はいまいちなのに、舞台上での彼女は可憐ですごくきれい!わが娘を思いながら病で死んでゆく母がすごく似合ってた。歌唱力はもう少し欲しい感じもしたけど、イメージがばっちりだったからOK。(←もうこれはコーラスラインの“ダンス10ルックス3”の原理。)
コゼット(菊地美香)…う~ん。すいません。彼女も私的には微妙~。近くでみたら愛らしい顔つきなのかもだけど、全体像がお遊戯会やってるちっちゃい子に見えてしまいまひた・・・(←身長のせい?演技力のせい??)コゼットは割と若い新人さんを使うので、そこまで実力云々は期待してないので、圧倒的な美形が希望かも・・・。
マリウス(小西遼生)…むさくさカッコイイー!オカコーと張るほどの長身で、足もこれまためっさ長い!!コゼット役同様、マリウス役も、見た目の良さで感情移入したいから、実力はそれほど重要視してないけど、彼はまさにマリウス!って感じの甘い声で、今回の新人ヒットかもしれん。イメージがぴったりすぎて、これまで見た中でも、マイベストマリウスかもしれん。。。
テナルディエ夫婦…すいません。そんなに思い入れがない役なので、夫婦一緒に感想を(^^ゞこの役はいつも実力人を使ってるから、ハズレがない。皆、面白くすばらしい。けど、やっぱりマイベストは森久美子!圧倒的に歌もうまいし、別にテナルディエ夫婦に注目してみようと思わなくても、ゲラゲラ笑えちゃう演技力!(キャラクター??)彼女を越えられる人はこの先いるかな・・・?
アンジョルラス(松原剛志)…今回の拝見メイン松原君アンジョはとっても頑張ってた。LIVEのときもすばらしい歌声で、「本当のウルトラマンだぁ~!」って思ったけど、今回もいい声だったなぁ~。ただ、今回、ジャベールのオカコーの神の歌声と、マリウス&ジャベールコンビの長身の狭間で、リーダー役としては、ちょこっと印象がうすい人になってしまってる気がする。これもキャストの組み合わせによって、ぜんぜんイメージが違ってくるだろうから、やっぱレミゼって大変だわ・・・^_^;と他人事にも思った。ちなみにマイベストアンジョルラスはやっぱりオカコー。(もう見れないけど)
以上が、包み隠さずな、かなり上から目線な今回のレミゼ観劇感想レポート。今回の観劇を紅白歌合戦にするなら、完全に白組の勝利である。男性陣ほんっとーに良かったなぁ~♪♪
そのうちオカコーがヴァルジャンやってくれる日がくるかしら。。不朽の名作の再演をまた待つとしよう~。(完)
今回はちょっと前にLIVEでご一緒した松原さんアンジョルラスを拝見するため、松原さんが出る日だけをピックアップして、なおかつ他のキャストは今まで見たことのないキャストの組み合わせで公演日を選んだ。
今回は客席にSMAPもいなかったし(笑)、かーなーり集中して観劇できたので、キャストの感想を率直に正直に辛口になってもありのままを書こうと思う。(出演者のお友達は気分を害す可能性もあるので見ない方がいいかも~^_^;)
ジャンバルジャン(今井清隆)…意外にも初見。他の作品ではたくさん見てるけど、とにかく彼の歌唱力ならバルジャンも素晴らしいだろうという思いで見た。・・・が、「疲れてるのかしら…」と思った。いや、疲れててくれと思った。私が昔、サイゴンのジョン役の彼の声に酔いしれて、2,3日恋をしたあの声じゃないー。なんか迫りくるものがない。もっと聴かせてほしい時に聴かせてもらえない。もう年で声が出なくなっちゃった・・・?(@_@。とまで思う。。。う~ん。歌唱力にあぐらをかいて芝居ができてない山口ヴァルジャンも、歌唱力が足りないであろう別所ヴァルジャンも、あまり見たいと思わないから、次回は復活今井ヴァルジャンでリベンジか、はたまたサイゴンで素晴らしかった橋本ヴァルジャンで見たいと思う。
ジャベール(岡幸次郎)…素晴らしいー!!オカコーサイコー!!いや~どんな作品でも何の役でもオカコー素晴らしすぎる!!彼が出てるレミゼと出てないレミゼでは、舞台全体のクオリティが変わってくるとさえ思う。
こんなベタ褒めの私ですが、けしてオカコーファンというわけじゃなく、だいぶ昔に共演した時も、どちらかというといじめられた(いじられた?)経験から、ご贔屓に彼を応援するような良好な間柄ではないのだが(^_^;)、そういうしがらみを含めても彼の圧倒的な存在感と、ずば抜けた歌声に毎回鳥肌が立つ。これまでジャベール役の人で、心を射止められる人なんて居なかったから、この役自体思い入れがなかったんだけど、これまでのジャベール像が覆された。な~んて素晴らしい役なんでしょう。間違いなくオカコーはナンバー1ジャベールである。(他のキャストの人全部見てないけど間違いない。)
エポニーヌ(坂本真綾)…観たことないから楽しみだった。…が、いまいちだった。歌唱力はそれなりだったけど、見た目が。。顔が大きくて、背が小さめで小太りなイメージ。これまでのエポ役の可憐な感じとは違った。。三枚目役でもない限り、実力があっても見た目がいまいちだとやっぱりなんだか冷めてしまうのだ。これ、舞台の怖いところ。ごめんですが、これが学芸会だったらすごいうまい人!って思うけど、帝劇で見ると上手な素人が出てる風な印象を受けてしまった。。。
ファンティーヌ(今井麻緒子)…綺麗なお方!坂本さんもそうだけど、バストアップの写真と、実際舞台で見る全体像とでは、だいぶイメージが違うなぁ~というのが、今回の女性キャストの印象。つまり・・・パンフの写真はいまいちなのに、舞台上での彼女は可憐ですごくきれい!わが娘を思いながら病で死んでゆく母がすごく似合ってた。歌唱力はもう少し欲しい感じもしたけど、イメージがばっちりだったからOK。(←もうこれはコーラスラインの“ダンス10ルックス3”の原理。)
コゼット(菊地美香)…う~ん。すいません。彼女も私的には微妙~。近くでみたら愛らしい顔つきなのかもだけど、全体像がお遊戯会やってるちっちゃい子に見えてしまいまひた・・・(←身長のせい?演技力のせい??)コゼットは割と若い新人さんを使うので、そこまで実力云々は期待してないので、圧倒的な美形が希望かも・・・。
マリウス(小西遼生)…むさくさカッコイイー!オカコーと張るほどの長身で、足もこれまためっさ長い!!コゼット役同様、マリウス役も、見た目の良さで感情移入したいから、実力はそれほど重要視してないけど、彼はまさにマリウス!って感じの甘い声で、今回の新人ヒットかもしれん。イメージがぴったりすぎて、これまで見た中でも、マイベストマリウスかもしれん。。。
テナルディエ夫婦…すいません。そんなに思い入れがない役なので、夫婦一緒に感想を(^^ゞこの役はいつも実力人を使ってるから、ハズレがない。皆、面白くすばらしい。けど、やっぱりマイベストは森久美子!圧倒的に歌もうまいし、別にテナルディエ夫婦に注目してみようと思わなくても、ゲラゲラ笑えちゃう演技力!(キャラクター??)彼女を越えられる人はこの先いるかな・・・?
アンジョルラス(松原剛志)…今回の拝見メイン松原君アンジョはとっても頑張ってた。LIVEのときもすばらしい歌声で、「本当のウルトラマンだぁ~!」って思ったけど、今回もいい声だったなぁ~。ただ、今回、ジャベールのオカコーの神の歌声と、マリウス&ジャベールコンビの長身の狭間で、リーダー役としては、ちょこっと印象がうすい人になってしまってる気がする。これもキャストの組み合わせによって、ぜんぜんイメージが違ってくるだろうから、やっぱレミゼって大変だわ・・・^_^;と他人事にも思った。ちなみにマイベストアンジョルラスはやっぱりオカコー。(もう見れないけど)
以上が、包み隠さずな、かなり上から目線な今回のレミゼ観劇感想レポート。今回の観劇を紅白歌合戦にするなら、完全に白組の勝利である。男性陣ほんっとーに良かったなぁ~♪♪
そのうちオカコーがヴァルジャンやってくれる日がくるかしら。。不朽の名作の再演をまた待つとしよう~。(完)
Date: Saturday, 10 Oct 2009 14:44
日生劇場で「屋根の上のヴァイオリン弾き」を見た。
・・・ら、SMAPが客席にいた!
仕事が終わって、ギリギリに劇場について席に座り、一安心していたらゴローちゃんらしき人が一番最後に現れて、私の席の5列くらい前の通路側に座った。「なんだかゴローちゃん似の人だなぁ~」と思って、じろじろ見ていたが、イメージよりガタイが良かったので違うだろうと思っていた。サングラスなんてかけちゃって、すかしてるわね(`´)と思った。
・・・ら、草くんが現れた。
これで、間違いなかった。あそこにいる二人は間違いなくSMAPだ。
自分でもびっくりだった。私はミーハーじゃない。若いころは多少ミーハーだったかもしれないが、いまやすっかり心がオバサマ化してしまっている。ましてやSMAPなんて全く興味がない。スマスマだってたまたまテレビがついてた時くらいしか見たことがないし、マイケルジャクソンが出た回のYouTubeを何度か見返したくらいだ。
なーのーに、大興奮!!あくまで表面では、冷静を装いつつテンションがあがってゆく。心の中にもやもやと膨らんでくる「SMAPやー!!」って意識が膨張してきて、観劇に集中できない。
「へぇ~。SMAPも屋根の上のヴァイオリン弾き見るんだ~。誰と仲良しなんだろ~。元ジャニの良知くんか~?それとも篠原旦那の市村さんか~?私は今、SMAPと時間を共有してるぞ~。というか、マイケルジャクソンと直接しゃべったことのある奴らと時間を共に過ごしてるんだぞ~。私はマイケルに一歩近づいたぞ~!!」
って、考え始めて、出だしからストーリーがわからなくなる。。(-.-)
これが、天下のSMAPなんだと思った。
別に興味なくても、居たら居たで興奮してしまう。気になってしまう。観劇中なのに、私の頭の中の議題は、いつの間にか『スマップと私の思い出』に入れ替わってしまっていた。
思えば、私がスマップを初めて知ったのは中学時代。それも、かなり遅いスマップデビューだった。クラスの人たちが、スマップの下敷きとか、うちわを持っていて、「誰だ?アレ」とやっぱり世間のアイドルには疎い子供だった。「私はキムタク!!」「え~。ゴローちゃんの方がいいよ~」とか言ってる女子の会話の意味がよくわかっていない子だった。
…が、なぜかそのあと、そんな周りに影響されてか、とたんにSMAPにハマリ始めた。クラスの子みたいに、グッズを買い求めたりはしなかったが、そのころ流行ってた「10$」とかをすっごい聴いた覚えがある。(←この頃世代の方はきっと懐かしいでしょう(*^^))
私はだんぜんゴローちゃん派だった。この頃からナヨナヨしたしょうゆ顔が好きだった。
そうだ!私ゴローちゃん好きだったんだ!!
ふと思い返して、あの頃の気持ちのまま、今を迎えていたら私はサインでも求めに行ったんだろうか…とふと考えたりもしてみた。
ところで、観劇してる周りの人は皆、大人だった。SMAPをスマップだと皆わかっているけど、内輪で「いるわね」って、こそっとしゃべってる声がそこら中で聞こえるが、誰も大興奮して飛びついたり、休憩中も観劇後も寄って集ったりはしなかった。さすが、ミュージカル観劇が趣味という、高貴な(?)方々の集まりだと思った。これが渋谷のど真ん中だと事態はだいぶ変わってくると思う。
サングラスをかけて変装してる風な2人も、あまりに誰も騒がないので、若干でかい態度で、わざと目立つように歩いてるようにさえ見えた。
それにしても、有名人はやっぱり大変だぁ・・・と思った。
興味がない人にさえ、ずっと目で追われている。どんな言動をするか、常にチェックされている。係の人からは気を使われている。当たり前のように行動すると偉そうに…と思われる。かといって、こそこそしていると、「意外に華がないわね」と思われる。
何をしても何か思われる。
嗚呼、マイケルよ。SMAPより断然世界的に有名なマイケルよ。辛かったね…(>_<)。と思う。(←結局そこか!??)
草&ゴローちゃんにオーラがあるから目がいったのか、見なれた顔だから目立ったのか、VIP待遇だから気になったのか、なんなのかよくわからない。でも、とりあへずこうしてSMAPを見たってだけで、すらすらブログが書けちゃう自分の、、、というか人間の心理は、変で面白いと思う。
最後になったが肝心の『屋根の上のヴァイオリン弾き』の感想である↓
長かった…。話が暗かった…。そんな中、クスリと笑わせるテヴィエ役あってこその作品だな、と思った。市村さんもよかったけど、西田敏行がやってた頃のも見たかったなぁ~と個人的には思う。
ユダヤ文化の踊りも新鮮だった。ユダヤの人たちの文化や風習がとても細かに丁寧に示された舞台だなぁ~と思った。
本田美奈子が次女役やってたんだよなぁ~、彼女が亡くなっても作品は生き続けるんだなぁ~ってなんだか切なくなった。
カーテンコールが簡潔で、無駄に長くなく、好きだった。ツボった。市村さんが最後に出てきて特にお辞儀もしないけど、両手をあげてテヴィエポーズをとるとこがとても印象的。このカーテンコールだけしか見てないとしても『屋根の上のヴァイオリン弾き』観た!って言い張ってもいいかもしれない。。。(?)
劇中歌は「サンライズ・サンセット」以外、ピンとくる曲はなかった。
出ている役者さんたちは皆素晴らしかった。
まぁ、こんなところである。いかんせん、観劇中も『SMAPと私の思い出』について、頭の中はかけめぐっていたのだから、実際の観劇の感想はこんなものである(--〆)
明後日は『レ・ミゼラブル』を観に行く。また客席に興味がなくても興奮しちゃうような有名人が現れないことを祈ろう(^^ゞ おわり。
・・・ら、SMAPが客席にいた!
仕事が終わって、ギリギリに劇場について席に座り、一安心していたらゴローちゃんらしき人が一番最後に現れて、私の席の5列くらい前の通路側に座った。「なんだかゴローちゃん似の人だなぁ~」と思って、じろじろ見ていたが、イメージよりガタイが良かったので違うだろうと思っていた。サングラスなんてかけちゃって、すかしてるわね(`´)と思った。
・・・ら、草くんが現れた。
これで、間違いなかった。あそこにいる二人は間違いなくSMAPだ。
自分でもびっくりだった。私はミーハーじゃない。若いころは多少ミーハーだったかもしれないが、いまやすっかり心がオバサマ化してしまっている。ましてやSMAPなんて全く興味がない。スマスマだってたまたまテレビがついてた時くらいしか見たことがないし、マイケルジャクソンが出た回のYouTubeを何度か見返したくらいだ。
なーのーに、大興奮!!あくまで表面では、冷静を装いつつテンションがあがってゆく。心の中にもやもやと膨らんでくる「SMAPやー!!」って意識が膨張してきて、観劇に集中できない。
「へぇ~。SMAPも屋根の上のヴァイオリン弾き見るんだ~。誰と仲良しなんだろ~。元ジャニの良知くんか~?それとも篠原旦那の市村さんか~?私は今、SMAPと時間を共有してるぞ~。というか、マイケルジャクソンと直接しゃべったことのある奴らと時間を共に過ごしてるんだぞ~。私はマイケルに一歩近づいたぞ~!!」
って、考え始めて、出だしからストーリーがわからなくなる。。(-.-)
これが、天下のSMAPなんだと思った。
別に興味なくても、居たら居たで興奮してしまう。気になってしまう。観劇中なのに、私の頭の中の議題は、いつの間にか『スマップと私の思い出』に入れ替わってしまっていた。
思えば、私がスマップを初めて知ったのは中学時代。それも、かなり遅いスマップデビューだった。クラスの人たちが、スマップの下敷きとか、うちわを持っていて、「誰だ?アレ」とやっぱり世間のアイドルには疎い子供だった。「私はキムタク!!」「え~。ゴローちゃんの方がいいよ~」とか言ってる女子の会話の意味がよくわかっていない子だった。
…が、なぜかそのあと、そんな周りに影響されてか、とたんにSMAPにハマリ始めた。クラスの子みたいに、グッズを買い求めたりはしなかったが、そのころ流行ってた「10$」とかをすっごい聴いた覚えがある。(←この頃世代の方はきっと懐かしいでしょう(*^^))
私はだんぜんゴローちゃん派だった。この頃からナヨナヨしたしょうゆ顔が好きだった。
そうだ!私ゴローちゃん好きだったんだ!!
ふと思い返して、あの頃の気持ちのまま、今を迎えていたら私はサインでも求めに行ったんだろうか…とふと考えたりもしてみた。
ところで、観劇してる周りの人は皆、大人だった。SMAPをスマップだと皆わかっているけど、内輪で「いるわね」って、こそっとしゃべってる声がそこら中で聞こえるが、誰も大興奮して飛びついたり、休憩中も観劇後も寄って集ったりはしなかった。さすが、ミュージカル観劇が趣味という、高貴な(?)方々の集まりだと思った。これが渋谷のど真ん中だと事態はだいぶ変わってくると思う。
サングラスをかけて変装してる風な2人も、あまりに誰も騒がないので、若干でかい態度で、わざと目立つように歩いてるようにさえ見えた。
それにしても、有名人はやっぱり大変だぁ・・・と思った。
興味がない人にさえ、ずっと目で追われている。どんな言動をするか、常にチェックされている。係の人からは気を使われている。当たり前のように行動すると偉そうに…と思われる。かといって、こそこそしていると、「意外に華がないわね」と思われる。
何をしても何か思われる。
嗚呼、マイケルよ。SMAPより断然世界的に有名なマイケルよ。辛かったね…(>_<)。と思う。(←結局そこか!??)
草&ゴローちゃんにオーラがあるから目がいったのか、見なれた顔だから目立ったのか、VIP待遇だから気になったのか、なんなのかよくわからない。でも、とりあへずこうしてSMAPを見たってだけで、すらすらブログが書けちゃう自分の、、、というか人間の心理は、変で面白いと思う。
最後になったが肝心の『屋根の上のヴァイオリン弾き』の感想である↓
長かった…。話が暗かった…。そんな中、クスリと笑わせるテヴィエ役あってこその作品だな、と思った。市村さんもよかったけど、西田敏行がやってた頃のも見たかったなぁ~と個人的には思う。
ユダヤ文化の踊りも新鮮だった。ユダヤの人たちの文化や風習がとても細かに丁寧に示された舞台だなぁ~と思った。
本田美奈子が次女役やってたんだよなぁ~、彼女が亡くなっても作品は生き続けるんだなぁ~ってなんだか切なくなった。
カーテンコールが簡潔で、無駄に長くなく、好きだった。ツボった。市村さんが最後に出てきて特にお辞儀もしないけど、両手をあげてテヴィエポーズをとるとこがとても印象的。このカーテンコールだけしか見てないとしても『屋根の上のヴァイオリン弾き』観た!って言い張ってもいいかもしれない。。。(?)
劇中歌は「サンライズ・サンセット」以外、ピンとくる曲はなかった。
出ている役者さんたちは皆素晴らしかった。
まぁ、こんなところである。いかんせん、観劇中も『SMAPと私の思い出』について、頭の中はかけめぐっていたのだから、実際の観劇の感想はこんなものである(--〆)
明後日は『レ・ミゼラブル』を観に行く。また客席に興味がなくても興奮しちゃうような有名人が現れないことを祈ろう(^^ゞ おわり。
Date: Thursday, 08 Oct 2009 22:20
秋の朝は気持ちがいい。外が明るくなってくると、次第に気持ちがわくわくしてきて、今日はどんな一日にしよう♪と頭がいろいろ考えだす。そして、お腹がすいてハタと目覚める。(どんな朝だ!?)
そんなわけで、私は早朝からちゃっちゃと朝ごはんを作り始める。一日一回、朝しか食欲が出ない私は、自分で作った自己満朝ごはんをモリモリ食べる。
たま~に、これはお世辞でも美味くない作品にであう。が、手料理のすごいところは、自分で作ったものなら、どんなにマズいものでも、「美味しい」と思えてしまうところだ。あまり料理をしない友達さえ、「こないだ自分で味噌汁作ったらさ~。別にだしからとったわけでも、ネギを刻んだわけでもないのに、めっちゃ美味ぇ!と思ってね~。やっぱ自分で作ると感覚が違うわ」なんて言っていた。
これが、外食や他人が作ったものだと違う。自分の舌にあわないもの、美味しいと思えないものは、ちょっとでも胃の中に納めたくない。けど、不思議なことに、自分の手料理だけは、パクパク食べてしまえるのだ。自分の作ったものは自分で責任とろうと思ってるからなのか、自分で作ったものだから、我が子のように愛せてしまうのだ。
もちろんそんな料理を他人に食べさせる勇気はない。というか、私は自分が作ったものを人に食べさせたいとは思わない。
よく「胃袋つかまえたら、男は早く落ちるよ」とか、「相手がいたら料理するけど…彼氏のいない今は一人分なんて作る気にならない」って話を聞くけど、私は、別に料理で男を落としたいなんて思ったこともなければ、私が料理するのはあくまで自分の料理を自己満足のために作るだけで、相手のために作ろうっていう動機がわきおこったことは一度もない。
私はこの辺からも、所謂ふつーの女の子とは違うんだな…って思って、ちょっと空しくなる。ある女の子が言ってた。
「私、自分が作ったものを彼に食べてもらうとき、隣にぴったりと座って、食べるのを見て『美味しい?美味しい??』って何度も聞いちゃんですよ。ウザいですよねぇ~(笑)」と、はにかみながら話した彼女は、、、やっぱり可愛かった。私が男だったら、たまらんだろうなぁ~と思った。
・・・が、私にはできない言動だ。
料理なんて、人によってだいぶ美味感覚が違ってくると思う。私が美味しいと思っても、他の人まで美味しいと思ってくれるとは限らない。
「彼女の作る料理は、どうも自分の舌には合わないけど、なんとかだましだまし食べてる」という友人もいれば、「奥さんの作った味噌汁から、ちゃんと切れてない長~いワカメが出てきて参ったよ」という旦那さま。はたまた辛いカレーが好きな夫の食べるカレーは、妻の作った激甘カレーで口に合わなかったと振り返るバツイチもいる。「私の作るものはたいていうちの旦那は好きじゃないものが多いのよ。だから、自分の好きなものは自分でたべて、旦那の好きなものは、また別に作ることもあるのよ。」って言ってた奥様の話も思い出す。
万人が美味しいと思える、すご腕の持ち主ならまだしも、私は自分が食べたいと頭の中で創造したものを、実際につくる、かなりの自己満創作料理人だ。そして何より、気ぃ使い屋さんだ。自分の手料理を人に食べさせた暁には、「美味しいと口では言っていても、本当はどう思ってるんだろう。口に合わないのに無理して食べてるんじゃないかしら…」と、わざわざ心悩ませるのが、心底嫌なのだ。そんなことで、気を使うくらいなら、「美味いわ、この料理。私天才…?」って、一人ほくそ笑んでた方が明らかに幸せな時間なのだ。
そんなこんなで今朝作った、初挑戦のそーめんチャンプルー見事に撃沈した。特にレシピも見ず、テキトーに自分の中の料理の創造感覚から手際よく作ってみたものの、イメージとは違うものに仕上がった…(-"-) 味が濃すぎたので、マイルドにするべく上から酒やら胡麻やら、味を中和するものをどばどばと注入したら、今度はなんだかよくわからない味になった。
そんなわけわかめな料理でも、なんだか愛おしいと思えちゃう手料理朝ごはん。何が失敗だったのか、ネットで作り方を見てみたり(←作る前に見ろよ)、義姉に助言をもとめてみたり。私のソーメンチャンプルーはきっとこれからも進化し続けるだろうと思う。
そして、「私、うまくなったなぁ~」って、一人満足げに、自分の料理の腕を自分で褒めるだろう。
そんななんだか切ない、アラサ―独身女性の秋の朝・・・(*^^)v嗚呼。
そんなわけで、私は早朝からちゃっちゃと朝ごはんを作り始める。一日一回、朝しか食欲が出ない私は、自分で作った自己満朝ごはんをモリモリ食べる。
たま~に、これはお世辞でも美味くない作品にであう。が、手料理のすごいところは、自分で作ったものなら、どんなにマズいものでも、「美味しい」と思えてしまうところだ。あまり料理をしない友達さえ、「こないだ自分で味噌汁作ったらさ~。別にだしからとったわけでも、ネギを刻んだわけでもないのに、めっちゃ美味ぇ!と思ってね~。やっぱ自分で作ると感覚が違うわ」なんて言っていた。
これが、外食や他人が作ったものだと違う。自分の舌にあわないもの、美味しいと思えないものは、ちょっとでも胃の中に納めたくない。けど、不思議なことに、自分の手料理だけは、パクパク食べてしまえるのだ。自分の作ったものは自分で責任とろうと思ってるからなのか、自分で作ったものだから、我が子のように愛せてしまうのだ。
もちろんそんな料理を他人に食べさせる勇気はない。というか、私は自分が作ったものを人に食べさせたいとは思わない。
よく「胃袋つかまえたら、男は早く落ちるよ」とか、「相手がいたら料理するけど…彼氏のいない今は一人分なんて作る気にならない」って話を聞くけど、私は、別に料理で男を落としたいなんて思ったこともなければ、私が料理するのはあくまで自分の料理を自己満足のために作るだけで、相手のために作ろうっていう動機がわきおこったことは一度もない。
私はこの辺からも、所謂ふつーの女の子とは違うんだな…って思って、ちょっと空しくなる。ある女の子が言ってた。
「私、自分が作ったものを彼に食べてもらうとき、隣にぴったりと座って、食べるのを見て『美味しい?美味しい??』って何度も聞いちゃんですよ。ウザいですよねぇ~(笑)」と、はにかみながら話した彼女は、、、やっぱり可愛かった。私が男だったら、たまらんだろうなぁ~と思った。
・・・が、私にはできない言動だ。
料理なんて、人によってだいぶ美味感覚が違ってくると思う。私が美味しいと思っても、他の人まで美味しいと思ってくれるとは限らない。
「彼女の作る料理は、どうも自分の舌には合わないけど、なんとかだましだまし食べてる」という友人もいれば、「奥さんの作った味噌汁から、ちゃんと切れてない長~いワカメが出てきて参ったよ」という旦那さま。はたまた辛いカレーが好きな夫の食べるカレーは、妻の作った激甘カレーで口に合わなかったと振り返るバツイチもいる。「私の作るものはたいていうちの旦那は好きじゃないものが多いのよ。だから、自分の好きなものは自分でたべて、旦那の好きなものは、また別に作ることもあるのよ。」って言ってた奥様の話も思い出す。
万人が美味しいと思える、すご腕の持ち主ならまだしも、私は自分が食べたいと頭の中で創造したものを、実際につくる、かなりの自己満創作料理人だ。そして何より、気ぃ使い屋さんだ。自分の手料理を人に食べさせた暁には、「美味しいと口では言っていても、本当はどう思ってるんだろう。口に合わないのに無理して食べてるんじゃないかしら…」と、わざわざ心悩ませるのが、心底嫌なのだ。そんなことで、気を使うくらいなら、「美味いわ、この料理。私天才…?」って、一人ほくそ笑んでた方が明らかに幸せな時間なのだ。
そんなこんなで今朝作った、初挑戦のそーめんチャンプルー見事に撃沈した。特にレシピも見ず、テキトーに自分の中の料理の創造感覚から手際よく作ってみたものの、イメージとは違うものに仕上がった…(-"-) 味が濃すぎたので、マイルドにするべく上から酒やら胡麻やら、味を中和するものをどばどばと注入したら、今度はなんだかよくわからない味になった。
そんなわけわかめな料理でも、なんだか愛おしいと思えちゃう手料理朝ごはん。何が失敗だったのか、ネットで作り方を見てみたり(←作る前に見ろよ)、義姉に助言をもとめてみたり。私のソーメンチャンプルーはきっとこれからも進化し続けるだろうと思う。
そして、「私、うまくなったなぁ~」って、一人満足げに、自分の料理の腕を自分で褒めるだろう。
そんななんだか切ない、アラサ―独身女性の秋の朝・・・(*^^)v嗚呼。
Date: Monday, 05 Oct 2009 14:11
髪をパッサリ切ってみた。いつもいつも切る間際になって、ものすごく悩む。美容院もよくドタキャンする。せっかく伸びてきたのに、切っちゃったらもったいないかな~とか、でも切ってさっぱりしたいな~とか、予約の時間まで粘りに粘って、気持ちが切るモードに入ったら行く。(←迷惑な客)
で、今回は切るモードに入ったので、ドタキャンせず美容院へ。のりピーの謝罪会見の髪型が可愛くて、のりピーみたいになりたいな~という、安易な考えで「のりピーにしてください」って言ってみた。案の定、のりピーにはならなかった。やっぱり土台が違うのだ。憧れの中の自分像と、現実とのギャップにガックリして、一日沈んでいた。どよーーーんと、気持ちが落ち込み、元気になれない。
義姉から電話で、「探してたブーツあったわよ~。今から来ちゃいなよ!」っていう急な誘いがあったけど、こっちは気持ちが沈んでそれどころじゃない。
「いや、あの・・・髪切ってブルーなんで、ちょっとやめときます…」…とわけわからん理由で断る。
それでも姉は「いいじゃん×2!出てきたら気持ちもパーっとするかもよ~」と人の気も知らずに誘ってきたが、断固ことわった。
それにしても姉はどうしてあんなにアメリカンなノリなのだろう。
普段からアラフォーとは思えないエネルギッシュな人で、私の直接知らん人がいるときでも、「今から来なよ~!皆いい人だからさ。おいでおいで~」ってよく誘われる。こっちが明らかに拒んでいる空気も読まずに強引に誘ってくる。
これはやっぱり自分の性格によるんだろう。姉はどんなときでも誘いにのるタイプの人なんだろう。フットワークが軽く、いつでも誘われてもいい体制、むしろ誘ってくれ体制に入っているから、誘われることがうれしく、自分以外の人までもいつでも誘ってあげたほうがいいと思っているのだろう。
どっこい、私はこよなく一人を愛し、少人数で動くことを好む。だから、自分で使うと決めた時間に、他人からの誘いが入ると、ものすごく困るのだ。
でも、最近はそんな姉の性質に影響されて、自分で完璧に作り上げてたマイスケジュールを返上してでも、急な誘いに乗ったり、どこかに行ったりすることも多くなった。
「知らない人がいるなら、行かない。大人数とか苦手っす。」ってタイプで、マイワールドに知らん奴が入ってこようとするのを尽く拒み、世界を自ら狭くする種族だった私が、まぁ適当に付き合ってみるのもいいのかも…という気持ちも出てきた。なんとな~く顔見知りになって、あさーーい関係が築き上げられていくのだけど、そういう出会いもアリなのかもしれんなぁ~なんて思い始めている。
今月28日から始まるマイケルジャクソンの最後のリハーサル映像の映画「This is it」を、マイコ―ファンの友達と2人で見にいこうと思っている。彼女とは、2人だけで会ったことがないので、初めて2人で出かけていろいろ話してみたいこともあったからとても楽しみにしている。
・・・が、先日、お台場のマイケルコンベンションに仕事帰りにたまたま一緒に行った外人に、「マイケルの映画、一緒に行こうぜ~」と声をかけられてしまう。
先約の友達がいた私は、「もう先に一緒に行く約束してる友達いるんだ~」ってもちろん断る。が、奴はこう出てきた。
「じゃ~皆で一緒に行けばいいじゃん。」
でた(-"-)このアメリカンのり。さすが本場アメリカン。。
なんで、彼は、私が友達と二人だけで行きたがってることに気づいてくれないんだろう。二人の間に邪魔が入ることを疎ましく思うだろうとかいう考えが浮かばないのかー!??と、はじめは思った。
でもこれはめっきり日本人体質の私だから思うことで、義姉のような人や本場アメリカンは、そんなこと考えもしないのだろうと思う。私のように、陰気にこじんまりと楽しみたいの♪ってタイプとは別で、皆で行こうぜ~、皆で楽しもうぜ~!!ってノリがもしかしたら普通のノリなのかもしれん…とも思う。
日本語ぺらぺらのアメリカンは続ける。
「マイコ―ファン皆集めてさ~。みんなで行けばいいじゃん。映画館皆でさ~」
そんな大人数で行って、一列に並べるかい!結局、皆てんでバラバラの会話しながら、散り散りに座ることになるじゃん!!っていう細かい突っ込みはとりあへずやめといて、最近のアメリカンなノリに感化されつつある私は、その提案を受け入れた。
「う、、うん・・・。じ、じゃ~皆で行こうかねぇ~。マイコ―ファン皆に声かけてみるかねぇ~・・・^_^;」と。
そんなわけで大人数でマイコ―映画を見に映画館に踏み入れることになりそうである。とりとめのない話題で、ひとつにまとまらない会話を楽しみながら、それでもなんだか楽しいと感じることもあるのかもしれない。
マイコ―の映画鑑賞会でなければ、このノリはなかったかもしれない。マイコ―のファンは皆手をつなごう!っていう、自分の中のマイコ―の音楽や精神普及精神があってこその、鑑賞会になると思う。
・・・というわけで、28日からの限定2週間のある一日、たくさんの人を引き連れてThis is itに乗り込みます。マイコ―ファンで皆で一緒に行きたい貴方!御連絡お待ちしておりまっす(^。^)
で、今回は切るモードに入ったので、ドタキャンせず美容院へ。のりピーの謝罪会見の髪型が可愛くて、のりピーみたいになりたいな~という、安易な考えで「のりピーにしてください」って言ってみた。案の定、のりピーにはならなかった。やっぱり土台が違うのだ。憧れの中の自分像と、現実とのギャップにガックリして、一日沈んでいた。どよーーーんと、気持ちが落ち込み、元気になれない。
義姉から電話で、「探してたブーツあったわよ~。今から来ちゃいなよ!」っていう急な誘いがあったけど、こっちは気持ちが沈んでそれどころじゃない。
「いや、あの・・・髪切ってブルーなんで、ちょっとやめときます…」…とわけわからん理由で断る。
それでも姉は「いいじゃん×2!出てきたら気持ちもパーっとするかもよ~」と人の気も知らずに誘ってきたが、断固ことわった。
それにしても姉はどうしてあんなにアメリカンなノリなのだろう。
普段からアラフォーとは思えないエネルギッシュな人で、私の直接知らん人がいるときでも、「今から来なよ~!皆いい人だからさ。おいでおいで~」ってよく誘われる。こっちが明らかに拒んでいる空気も読まずに強引に誘ってくる。
これはやっぱり自分の性格によるんだろう。姉はどんなときでも誘いにのるタイプの人なんだろう。フットワークが軽く、いつでも誘われてもいい体制、むしろ誘ってくれ体制に入っているから、誘われることがうれしく、自分以外の人までもいつでも誘ってあげたほうがいいと思っているのだろう。
どっこい、私はこよなく一人を愛し、少人数で動くことを好む。だから、自分で使うと決めた時間に、他人からの誘いが入ると、ものすごく困るのだ。
でも、最近はそんな姉の性質に影響されて、自分で完璧に作り上げてたマイスケジュールを返上してでも、急な誘いに乗ったり、どこかに行ったりすることも多くなった。
「知らない人がいるなら、行かない。大人数とか苦手っす。」ってタイプで、マイワールドに知らん奴が入ってこようとするのを尽く拒み、世界を自ら狭くする種族だった私が、まぁ適当に付き合ってみるのもいいのかも…という気持ちも出てきた。なんとな~く顔見知りになって、あさーーい関係が築き上げられていくのだけど、そういう出会いもアリなのかもしれんなぁ~なんて思い始めている。
今月28日から始まるマイケルジャクソンの最後のリハーサル映像の映画「This is it」を、マイコ―ファンの友達と2人で見にいこうと思っている。彼女とは、2人だけで会ったことがないので、初めて2人で出かけていろいろ話してみたいこともあったからとても楽しみにしている。
・・・が、先日、お台場のマイケルコンベンションに仕事帰りにたまたま一緒に行った外人に、「マイケルの映画、一緒に行こうぜ~」と声をかけられてしまう。
先約の友達がいた私は、「もう先に一緒に行く約束してる友達いるんだ~」ってもちろん断る。が、奴はこう出てきた。
「じゃ~皆で一緒に行けばいいじゃん。」
でた(-"-)このアメリカンのり。さすが本場アメリカン。。
なんで、彼は、私が友達と二人だけで行きたがってることに気づいてくれないんだろう。二人の間に邪魔が入ることを疎ましく思うだろうとかいう考えが浮かばないのかー!??と、はじめは思った。
でもこれはめっきり日本人体質の私だから思うことで、義姉のような人や本場アメリカンは、そんなこと考えもしないのだろうと思う。私のように、陰気にこじんまりと楽しみたいの♪ってタイプとは別で、皆で行こうぜ~、皆で楽しもうぜ~!!ってノリがもしかしたら普通のノリなのかもしれん…とも思う。
日本語ぺらぺらのアメリカンは続ける。
「マイコ―ファン皆集めてさ~。みんなで行けばいいじゃん。映画館皆でさ~」
そんな大人数で行って、一列に並べるかい!結局、皆てんでバラバラの会話しながら、散り散りに座ることになるじゃん!!っていう細かい突っ込みはとりあへずやめといて、最近のアメリカンなノリに感化されつつある私は、その提案を受け入れた。
「う、、うん・・・。じ、じゃ~皆で行こうかねぇ~。マイコ―ファン皆に声かけてみるかねぇ~・・・^_^;」と。
そんなわけで大人数でマイコ―映画を見に映画館に踏み入れることになりそうである。とりとめのない話題で、ひとつにまとまらない会話を楽しみながら、それでもなんだか楽しいと感じることもあるのかもしれない。
マイコ―の映画鑑賞会でなければ、このノリはなかったかもしれない。マイコ―のファンは皆手をつなごう!っていう、自分の中のマイコ―の音楽や精神普及精神があってこその、鑑賞会になると思う。
・・・というわけで、28日からの限定2週間のある一日、たくさんの人を引き連れてThis is itに乗り込みます。マイコ―ファンで皆で一緒に行きたい貴方!御連絡お待ちしておりまっす(^。^)
Date: Thursday, 01 Oct 2009 01:32
以前からちょっとしたマイブームになっていた、カツサンドの勝負は圧倒的な“さぼてん”の勝利で終わった。金メダリストの実家のきたじまのカツサンドも、和幸も、スエヒロも、梅林も、マイセンも、キムカツもほとんど食べつくしたけど、健闘した熱海でのカツサンド以外は、圧倒的にさぼてんの勝利だった。そんなわけでUFOの体をはった調査の結果から、皆さんもカツサンドを食べるときは、さぼてんをご贔屓にしてください~。
引き続き、ファーストフード店のフライドポテト&パン屋さんのセーグルフリュイ対決中~。結果は随時報告してまいります。(ちなみに現在のところ、フライドポテトはサブウェイ、セーグルフリュイはアンデルセンであります!)
B級グルメ好きな私は、焼きカレーで有名な、浅草橋のストーンへ。
HPでとりあげられてる焼きカレーの写真は具も大きくてすごくおいしそうに見えたけど、実際は大盛りを頼まないとゴロゴロ野菜がいっぱいの焼きカレーは出てこず。。。普通盛りは、卵もうずらの卵…ブロッコリーもちっちゃく刻んだようなのが入っていただけだった。味はまぁふつー。それでも開店間際には毎回行列ができるようで、「カレーにチーズをふりかけて焼いたっていうアイディアだけで、かなりボロ儲けしてるぞ、この店・・・( 一一)」と、冷静な判断のまま帰宅した。
先日は義姉に連れられて、CMアンケート&プチ試写会へ。
CMをいろいろ見てアンケートに答えて、ちょっとした映画も見れて3000円GETというお得な(?)企画である。アンケートは簡単なのだけど、すごく暇じゃないとわざわざ3000円のために足を運ぶのはちょっと面倒な2時間だった。しかしながら、いろんな企業が、仲介業者を通して、自社のCMを一般市民にどう受け止められるか…の調査をわざわざ入れながら、次のCM作りに活かしていく…というのは、感心である。アンケートに答える奴らが、私のようなテキトーな奴らの集まりだとわかってるのだろうか。。はたして本当に参考になるんだろうか…とやや心配^_^;
次の日は休みを取って、埼玉に新しくできた新三郷のららぽーとへ♪
オープンしたときはテレビですごい宣伝をしていたからか、この日も平日の割には結構な人。まだまだオープン仕立てでキレイで気持ちいい。…が、車で小一時間も走らせれば、近くに数倍の敷地の越谷レイクタウンがある。だったら、新三郷は、2,3度見ればもういいかなぁ~といったところ。思ったよりこじんまりとした、ショッピングモールであった。
石ちゃんがグルメレポートで各店を訪れていて、たくさんの人だかりができていた。
何気に続いている覆面調査では居酒屋亀戸店へ。
久々に高校の友達と飲む。会社勤めの友達に会うと、たいていみんな職場の愚痴だったりして、限られた範囲で人間関係が悪化しないように皆がんばってるんだなぁ~と改めて感じる。人づきあいも悪い私にとっては、同じ空間でずーーーーっと顔を見合わせなきゃならないOL生活とは、拷問だろうなぁ~と思う。先のことはどうであれ、毎回毎回、違う人たちに触れ合い、飽きないようにいろんな種類の仕事ができている今の自分の環境をありがたく思った。。
箱根の日帰り旅行が当たった。なんでもかんでも応募しているとこうしてたま~にラッキーがおとずれる。正月明けに日帰り旅行が当たったときのように、また一人で旅に繰り出す。たぶん一人好きだから全然大丈夫だと思ふ。楽しみである。
周りでレーシック手術をする人がたくさん増えてきている。コンタクトやメガネの煩わしさから解放されてかなりいいようだ。私の周りには手術を受けて失敗だった人はおらず、みんな、イキイキと生活し始める。やっぱり視力回復というのは、元気の源なのかもしれん。
あらゆることを「いらないや~」「別にやらなくてもいいや~」って思ってしまうタイプの私は、こういうことこそやるべきなのかもしれん。友人たちに調査を入れつつ、本格的に考えていこうと思う。
友達の結婚式で歌った写真が届いた。先日のディナーコンサートの写真を見た。
不細工だと思った。私が人前にでたくない理由の一つがここにあると思った。ディナーコンサートは一緒に歌った方が、矢田亜希子のような美形な方だっだから、さらに自分が貧弱に感じた。美形に生まれてたら人生変わってたかもしれんと思う。もう少し華があれば、もっと人前で歌ったり踊ったりすることが好きだったかもしれんと思う。
レーシックとか言ってる場合じゃなくて、矯正とか整形とかそっちを考えた方がいいんじゃないかとも思う。
とりあへず三十路までにあと2kgやせようと思う。加齢とともに落ちにくくなっていく、脂肪さんたちをなんとか三十路までに、追い払おうと思う。
10月になった。今年もあと3か月になった。三十路まで4か月きった。でもなんだか心穏やかで平和で幸せな今日この頃…。 (完)
引き続き、ファーストフード店のフライドポテト&パン屋さんのセーグルフリュイ対決中~。結果は随時報告してまいります。(ちなみに現在のところ、フライドポテトはサブウェイ、セーグルフリュイはアンデルセンであります!)
B級グルメ好きな私は、焼きカレーで有名な、浅草橋のストーンへ。
HPでとりあげられてる焼きカレーの写真は具も大きくてすごくおいしそうに見えたけど、実際は大盛りを頼まないとゴロゴロ野菜がいっぱいの焼きカレーは出てこず。。。普通盛りは、卵もうずらの卵…ブロッコリーもちっちゃく刻んだようなのが入っていただけだった。味はまぁふつー。それでも開店間際には毎回行列ができるようで、「カレーにチーズをふりかけて焼いたっていうアイディアだけで、かなりボロ儲けしてるぞ、この店・・・( 一一)」と、冷静な判断のまま帰宅した。
先日は義姉に連れられて、CMアンケート&プチ試写会へ。
CMをいろいろ見てアンケートに答えて、ちょっとした映画も見れて3000円GETというお得な(?)企画である。アンケートは簡単なのだけど、すごく暇じゃないとわざわざ3000円のために足を運ぶのはちょっと面倒な2時間だった。しかしながら、いろんな企業が、仲介業者を通して、自社のCMを一般市民にどう受け止められるか…の調査をわざわざ入れながら、次のCM作りに活かしていく…というのは、感心である。アンケートに答える奴らが、私のようなテキトーな奴らの集まりだとわかってるのだろうか。。はたして本当に参考になるんだろうか…とやや心配^_^;
次の日は休みを取って、埼玉に新しくできた新三郷のららぽーとへ♪
オープンしたときはテレビですごい宣伝をしていたからか、この日も平日の割には結構な人。まだまだオープン仕立てでキレイで気持ちいい。…が、車で小一時間も走らせれば、近くに数倍の敷地の越谷レイクタウンがある。だったら、新三郷は、2,3度見ればもういいかなぁ~といったところ。思ったよりこじんまりとした、ショッピングモールであった。
石ちゃんがグルメレポートで各店を訪れていて、たくさんの人だかりができていた。
何気に続いている覆面調査では居酒屋亀戸店へ。
久々に高校の友達と飲む。会社勤めの友達に会うと、たいていみんな職場の愚痴だったりして、限られた範囲で人間関係が悪化しないように皆がんばってるんだなぁ~と改めて感じる。人づきあいも悪い私にとっては、同じ空間でずーーーーっと顔を見合わせなきゃならないOL生活とは、拷問だろうなぁ~と思う。先のことはどうであれ、毎回毎回、違う人たちに触れ合い、飽きないようにいろんな種類の仕事ができている今の自分の環境をありがたく思った。。
箱根の日帰り旅行が当たった。なんでもかんでも応募しているとこうしてたま~にラッキーがおとずれる。正月明けに日帰り旅行が当たったときのように、また一人で旅に繰り出す。たぶん一人好きだから全然大丈夫だと思ふ。楽しみである。
周りでレーシック手術をする人がたくさん増えてきている。コンタクトやメガネの煩わしさから解放されてかなりいいようだ。私の周りには手術を受けて失敗だった人はおらず、みんな、イキイキと生活し始める。やっぱり視力回復というのは、元気の源なのかもしれん。
あらゆることを「いらないや~」「別にやらなくてもいいや~」って思ってしまうタイプの私は、こういうことこそやるべきなのかもしれん。友人たちに調査を入れつつ、本格的に考えていこうと思う。
友達の結婚式で歌った写真が届いた。先日のディナーコンサートの写真を見た。
不細工だと思った。私が人前にでたくない理由の一つがここにあると思った。ディナーコンサートは一緒に歌った方が、矢田亜希子のような美形な方だっだから、さらに自分が貧弱に感じた。美形に生まれてたら人生変わってたかもしれんと思う。もう少し華があれば、もっと人前で歌ったり踊ったりすることが好きだったかもしれんと思う。
レーシックとか言ってる場合じゃなくて、矯正とか整形とかそっちを考えた方がいいんじゃないかとも思う。
とりあへず三十路までにあと2kgやせようと思う。加齢とともに落ちにくくなっていく、脂肪さんたちをなんとか三十路までに、追い払おうと思う。
10月になった。今年もあと3か月になった。三十路まで4か月きった。でもなんだか心穏やかで平和で幸せな今日この頃…。 (完)
Date: Tuesday, 29 Sep 2009 23:31
ディナーコンサートが終わった。
「映画音楽」というテーマのもと、ソロを何曲か、そして初めて女性デュオでいろいろ歌わせてもらった。ここんとこ、男性とのデュオしかなかったので、女性デュオは息もバッチリ合っていたし、すごい気持ちいいものだった。かつてやってた合唱を思い出し、あのとき歌うことが純粋にただただ好きだった自分を思い出す。
今は、「今日の3曲でギャラいくらだわ…」とか、「この一歌い分でブーツを買うぞ~!」とか、なんだか純粋に好きだった歌に、おもいっきり邪念が混ざりこんでいる。
だからこそ、こういう機会ってのは重要で、公な場所に出ていって自分が目立ったり有名になろうとかいう欲がない私でも、“歌う”という行為そのものを心から愛していて、そこに煩悩なんてないのだということを再確認する場所にもなる。
ディナーコンサートが終わって、ほっとして家に帰る。その日のためにずっと持ち歩いていた楽譜たちを分厚いファイルに戻し、移動用に書きためていた歌詞のメモ帳をポイっとごみ箱に捨てる。
私は、この瞬間がとても好きである。
とりあへずコンサートまでは、移動中のipodもその日にやる曲ばかりを聞いていて、他の曲を聞く気になれない。練習する暇がない日でも、とりあへず楽譜は持ち歩く。電車の中で手書きの歌詞のメモ帳を見てぶつぶつ言いながら覚える。
そんななんとなく心が落ち着かない日々から解放されて、普通の生活に戻る準備をする片づけの瞬間が好きなのだ。
思えば、旅行もそうだ。
旅に出る準備よりも、旅から帰ってきて、スーツケースを開けて、一つ一つもとにあった場所にしまう瞬間が好きなのである。リセットされた自分が、次の日を迎える準備をするのが好きなのだ。
『A型自分の説明書』にも書いてあった。A型は、何かの衝動にかられて何かと旅に出たがる割には、“すぐに帰る”らしい(笑)。
わかる~。旅は旅で楽しいし、どっか行きたい衝動にかられるし、楽しみに行くけど、帰ってくる日はもっと楽しかったりする。普通の人みたいに、「あぁ~旅が終わっちゃう~。明日から現実が待っている~」とかいう、残念な思いがないのだ。むしろ、私は現実を生きてたいのだ。
だから、コンサートやライブとか、旅行とか、日常とは違うことに向けて、準備をして、その日を迎えて、終わって日常に戻る、その一番楽しみな日のために、たま~に公の場で歌ったり、旅に出たりする。
「もっとたくさん歌いに出た方がいいですよ~」「宝の持ち腐れですよ~」なんていう、周りのアドバイス(?)にはあまり耳を傾けない。なんせ、日常が好きなんだから。
A型(というか私)は現実主義者である。浮世離れした夢もない。行きあたりバッタリが好きじゃない。
だから、確実性のないものに手をだせない。確実に儲かる保証のある道にしかすすめない。赤がでるかもしれない、投資の話や仕事の話にはのれない。常に安全圏のところで生きたがる。
でもそうじゃない人種も周りには結構いるのだ。
義姉なんかはその典型で、生活がギリギリだから、金遣いを抑えよう…できる範囲で生活しようと、自分の生活範囲を制限するのではなくて、好きなようにお金を使って生活できるように、次の事業について常に考えている。お金ないなら、ない範囲内でつつましく、のらりくらり生活しようぜ~っていう、私の実兄(←さすが兄弟は血はあらそえん…)とはえらい違いである。
ずっと前だけどテレビで、DAIGOがさんまに「なんで実家から出ないんや?」て問われて、「お金かかるじゃないですか。そんなに収入も安定してないし・・・」って答えたら、こういわれてた。「一人で生活してみて、ギリギリに自分を追い込んで、がんばるんやないか!だから頑張れるんじゃないか~」みたいに言われてた。DAIGOは「え。。そんなもんなんっすか!?」とか言ってたけど、私もDAIGO派だから、わかる。ギリギリに自分を追い込んで、背水の陣…とか、全く考えられんのだ。
DAIGOほどのお坊ちゃまじゃないけど、結局、恵まれた家庭に育ったお嬢ちゃまなのだ。
こんな私だから、吉と出るか凶と出るかの大冒険も、自分を鍛えるための修行にも出られない。常に淡々と飄々と、なんの困難にもぶちあたってない風に生きていく。たま~に、義姉のようなエネルギッシュな人に便乗しながらちゃっかり生きていく。
「UFOちゃんって無駄な汗はかかないタイプだよね~」
「なんでもソツなくこなすよね~」
たま~に、あてがわれるそんな周囲の人たちのイメージ通りに、無駄なく安全圏をこれからもこなしていこう。
ライブや旅の荷物を綺麗に整理整頓する、その日を楽しみにしながら……(^^ゞ
「映画音楽」というテーマのもと、ソロを何曲か、そして初めて女性デュオでいろいろ歌わせてもらった。ここんとこ、男性とのデュオしかなかったので、女性デュオは息もバッチリ合っていたし、すごい気持ちいいものだった。かつてやってた合唱を思い出し、あのとき歌うことが純粋にただただ好きだった自分を思い出す。
今は、「今日の3曲でギャラいくらだわ…」とか、「この一歌い分でブーツを買うぞ~!」とか、なんだか純粋に好きだった歌に、おもいっきり邪念が混ざりこんでいる。
だからこそ、こういう機会ってのは重要で、公な場所に出ていって自分が目立ったり有名になろうとかいう欲がない私でも、“歌う”という行為そのものを心から愛していて、そこに煩悩なんてないのだということを再確認する場所にもなる。
ディナーコンサートが終わって、ほっとして家に帰る。その日のためにずっと持ち歩いていた楽譜たちを分厚いファイルに戻し、移動用に書きためていた歌詞のメモ帳をポイっとごみ箱に捨てる。
私は、この瞬間がとても好きである。
とりあへずコンサートまでは、移動中のipodもその日にやる曲ばかりを聞いていて、他の曲を聞く気になれない。練習する暇がない日でも、とりあへず楽譜は持ち歩く。電車の中で手書きの歌詞のメモ帳を見てぶつぶつ言いながら覚える。
そんななんとなく心が落ち着かない日々から解放されて、普通の生活に戻る準備をする片づけの瞬間が好きなのだ。
思えば、旅行もそうだ。
旅に出る準備よりも、旅から帰ってきて、スーツケースを開けて、一つ一つもとにあった場所にしまう瞬間が好きなのである。リセットされた自分が、次の日を迎える準備をするのが好きなのだ。
『A型自分の説明書』にも書いてあった。A型は、何かの衝動にかられて何かと旅に出たがる割には、“すぐに帰る”らしい(笑)。
わかる~。旅は旅で楽しいし、どっか行きたい衝動にかられるし、楽しみに行くけど、帰ってくる日はもっと楽しかったりする。普通の人みたいに、「あぁ~旅が終わっちゃう~。明日から現実が待っている~」とかいう、残念な思いがないのだ。むしろ、私は現実を生きてたいのだ。
だから、コンサートやライブとか、旅行とか、日常とは違うことに向けて、準備をして、その日を迎えて、終わって日常に戻る、その一番楽しみな日のために、たま~に公の場で歌ったり、旅に出たりする。
「もっとたくさん歌いに出た方がいいですよ~」「宝の持ち腐れですよ~」なんていう、周りのアドバイス(?)にはあまり耳を傾けない。なんせ、日常が好きなんだから。
A型(というか私)は現実主義者である。浮世離れした夢もない。行きあたりバッタリが好きじゃない。
だから、確実性のないものに手をだせない。確実に儲かる保証のある道にしかすすめない。赤がでるかもしれない、投資の話や仕事の話にはのれない。常に安全圏のところで生きたがる。
でもそうじゃない人種も周りには結構いるのだ。
義姉なんかはその典型で、生活がギリギリだから、金遣いを抑えよう…できる範囲で生活しようと、自分の生活範囲を制限するのではなくて、好きなようにお金を使って生活できるように、次の事業について常に考えている。お金ないなら、ない範囲内でつつましく、のらりくらり生活しようぜ~っていう、私の実兄(←さすが兄弟は血はあらそえん…)とはえらい違いである。
ずっと前だけどテレビで、DAIGOがさんまに「なんで実家から出ないんや?」て問われて、「お金かかるじゃないですか。そんなに収入も安定してないし・・・」って答えたら、こういわれてた。「一人で生活してみて、ギリギリに自分を追い込んで、がんばるんやないか!だから頑張れるんじゃないか~」みたいに言われてた。DAIGOは「え。。そんなもんなんっすか!?」とか言ってたけど、私もDAIGO派だから、わかる。ギリギリに自分を追い込んで、背水の陣…とか、全く考えられんのだ。
DAIGOほどのお坊ちゃまじゃないけど、結局、恵まれた家庭に育ったお嬢ちゃまなのだ。
こんな私だから、吉と出るか凶と出るかの大冒険も、自分を鍛えるための修行にも出られない。常に淡々と飄々と、なんの困難にもぶちあたってない風に生きていく。たま~に、義姉のようなエネルギッシュな人に便乗しながらちゃっかり生きていく。
「UFOちゃんって無駄な汗はかかないタイプだよね~」
「なんでもソツなくこなすよね~」
たま~に、あてがわれるそんな周囲の人たちのイメージ通りに、無駄なく安全圏をこれからもこなしていこう。
ライブや旅の荷物を綺麗に整理整頓する、その日を楽しみにしながら……(^^ゞ
Date: Wednesday, 23 Sep 2009 01:30
シルバーウィークは大(?)忙し~。
毎日毎日歌いに行けば、出稼ぎになるってのは、私にとってはハッピー週間である。
歌って金がもらえるなんて、楽すぎる…(*^^)♪
そんなわけで、しっかり働いた後は自分の時間を有意義に使ってみる。
お台場で歌ったあとは、23日までやってるというビーナスフォートの「マイケルジャクソンコンベンション」へ、一緒に居合わせた仕事仲間と行った。私はすっかりマニアックになってしまっていて、コンベンションの空間でさえ特に目新しいものはなかったけれど、大画面に流れるマイコーの映像、でっかいマイコーパネルの数々、そしてマイコ―グッズがいーーっぱいあって、なんだかチアワセに浸れる空間だった。周りにいる、マイコ―の写真を熱心に見ている人々全員とお友達になりたい感覚に襲われつつも、結局だれともお友達になれずに帰ってくる。でも、マイコ―ファンがいっぱいいることを察し、なんだか嬉しい時間だった。
青山で歌ったあとは、ブルーノートへ。ここでも女性5人グループがマイコ―の曲を歌ってた。マイコーの曲のときだけ、なんだかテンションがあがった。
帰りは表参道のブランド店へ珍しく入る。ふだん全くブランド物に興味がなくて、銀座も表参道もほぼ素通りな私だが、この日はブルーノートのセレブな雰囲気を引きずってブルガリのイルカフェに。そう。ここ数年で(?)バーっと増えだした、ブランド店が経営するカフェである。
格調高そうな店内に入り、ちょとドギマギしながらメニューを見ると、思ったほど高くはなく、名前で惹かれた『三種のチーズのデザート』を頼む。う、う、う、うみゃあぁ!!!
久々に感動ものの美味さである。ゴルゴンゾーラのアイスと、リコッタチーズのスフレ(?)と、マンゴーのチーズケーキと、それぞれが一列の皿にのってるのだけど、それぞれのチーズの味がしっかり出ていて、三種それぞれ引けを取らない素晴らしいデザートである。なくなっていくのが切なくて、いつまでもお皿についてる残りカスをなめていたい心境にかられる^_^;
ふと周りを見渡せば、私(より若い?)くらいの層の女子組が、美味しそうにお食事からデザートまで楽しんでいる。「むむむ~。世間は不景気だとはいうものの、こういうとこに金持ちそうな輩がたくさんいるぞ~。。」とちょっと僻みの視線を送りつつ、水のみでデザートだけ食べて、とっとと私は退散した。
今度は銀座のミキモトとグッチのカフェに行くぞ~!と、再び働く意欲を燃やした。
そして昨日は仕事後、すべりこみセーフで、シアタークリエへ。ミュージカル「ブラッドブラザーズ」を観る。
内容を事前に読んでいて、とても面白そうなストーリーだった。で、実際見てみるとミュージカルというよりお芝居の要素が強い。音楽が思ったほど入らないけど、3時間ずーーっと引き込まれる。イイ♪イイっっ!!
キャストは芸能人と舞台人を融合していて、特にメインの2人は芸能人バージョン(武田真治&岡田浩輝)と舞台人バージョン(藤岡&田代)がある。私はミュージカルのときは、歌いだすと下手になる芸能人が舞台に立つことがちょっと許せない部分があり、迷わず後者のチケットをとってしまったのだけど、作品をみながら心から武田真治で見たかった…と思ってしまった。。こんなに歌が少ないならそれほど気にならなかっただろうし、7歳のやんちゃな少年時代、そして社会に出てうつ病になってしまう、心の過程を「武田真治だったらどう演じるんだろう??」って気になって仕方なかった。
藤岡&田代組もすごい熱演していて、頑張ってたし良かったのだけど、やっぱ芝居は実力派芸能人で。ミュージカルは歌唱力のある舞台人で見たい。舞台だけは最高品質で見ようと貪欲な私(^^ゞもし再演があったら、武田組で見にいこうと思う。うん。
劇団時代に共演した金さん、そして相変わらずあくの強い下村さんも、さすがといった感じですごい存在感だった。そして最近テレビで見てなかった鈴木亜美は、可愛い。「なるほど~。テレビにでるってのは、ここまで華がある人なのかぁぁ~」とやたら感心する。あきらかに他の舞台人よりかわいいし、華もあるから、やたら目がいくんだけど、舞台に立つと舞台を中心に勉強してきた舞台人の方がしっかり物語の中に「居る」ように見えるのも、舞台の不思議な現象だ。
ぽけ~っと仕事し、しっかり遊ぶ。
こんなUFO流シルバーウィークの使い方♪
明後日はどこぞのレストランでのディナーコンサート。「映画音楽」というテーマで久々に自分の歌いたい曲、好きな曲歌えます。BGMじゃなくて、しっかり聴いてもらいます。楽しみだけど、練習不足・・・(-.-)
でもこんな日々も何気に楽しいUFO29歳の9月でございます。うはっ(^。^)♪
毎日毎日歌いに行けば、出稼ぎになるってのは、私にとってはハッピー週間である。
歌って金がもらえるなんて、楽すぎる…(*^^)♪
そんなわけで、しっかり働いた後は自分の時間を有意義に使ってみる。
お台場で歌ったあとは、23日までやってるというビーナスフォートの「マイケルジャクソンコンベンション」へ、一緒に居合わせた仕事仲間と行った。私はすっかりマニアックになってしまっていて、コンベンションの空間でさえ特に目新しいものはなかったけれど、大画面に流れるマイコーの映像、でっかいマイコーパネルの数々、そしてマイコ―グッズがいーーっぱいあって、なんだかチアワセに浸れる空間だった。周りにいる、マイコ―の写真を熱心に見ている人々全員とお友達になりたい感覚に襲われつつも、結局だれともお友達になれずに帰ってくる。でも、マイコ―ファンがいっぱいいることを察し、なんだか嬉しい時間だった。
青山で歌ったあとは、ブルーノートへ。ここでも女性5人グループがマイコ―の曲を歌ってた。マイコーの曲のときだけ、なんだかテンションがあがった。
帰りは表参道のブランド店へ珍しく入る。ふだん全くブランド物に興味がなくて、銀座も表参道もほぼ素通りな私だが、この日はブルーノートのセレブな雰囲気を引きずってブルガリのイルカフェに。そう。ここ数年で(?)バーっと増えだした、ブランド店が経営するカフェである。
格調高そうな店内に入り、ちょとドギマギしながらメニューを見ると、思ったほど高くはなく、名前で惹かれた『三種のチーズのデザート』を頼む。う、う、う、うみゃあぁ!!!
久々に感動ものの美味さである。ゴルゴンゾーラのアイスと、リコッタチーズのスフレ(?)と、マンゴーのチーズケーキと、それぞれが一列の皿にのってるのだけど、それぞれのチーズの味がしっかり出ていて、三種それぞれ引けを取らない素晴らしいデザートである。なくなっていくのが切なくて、いつまでもお皿についてる残りカスをなめていたい心境にかられる^_^;
ふと周りを見渡せば、私(より若い?)くらいの層の女子組が、美味しそうにお食事からデザートまで楽しんでいる。「むむむ~。世間は不景気だとはいうものの、こういうとこに金持ちそうな輩がたくさんいるぞ~。。」とちょっと僻みの視線を送りつつ、水のみでデザートだけ食べて、とっとと私は退散した。
今度は銀座のミキモトとグッチのカフェに行くぞ~!と、再び働く意欲を燃やした。
そして昨日は仕事後、すべりこみセーフで、シアタークリエへ。ミュージカル「ブラッドブラザーズ」を観る。
内容を事前に読んでいて、とても面白そうなストーリーだった。で、実際見てみるとミュージカルというよりお芝居の要素が強い。音楽が思ったほど入らないけど、3時間ずーーっと引き込まれる。イイ♪イイっっ!!
キャストは芸能人と舞台人を融合していて、特にメインの2人は芸能人バージョン(武田真治&岡田浩輝)と舞台人バージョン(藤岡&田代)がある。私はミュージカルのときは、歌いだすと下手になる芸能人が舞台に立つことがちょっと許せない部分があり、迷わず後者のチケットをとってしまったのだけど、作品をみながら心から武田真治で見たかった…と思ってしまった。。こんなに歌が少ないならそれほど気にならなかっただろうし、7歳のやんちゃな少年時代、そして社会に出てうつ病になってしまう、心の過程を「武田真治だったらどう演じるんだろう??」って気になって仕方なかった。
藤岡&田代組もすごい熱演していて、頑張ってたし良かったのだけど、やっぱ芝居は実力派芸能人で。ミュージカルは歌唱力のある舞台人で見たい。舞台だけは最高品質で見ようと貪欲な私(^^ゞもし再演があったら、武田組で見にいこうと思う。うん。
劇団時代に共演した金さん、そして相変わらずあくの強い下村さんも、さすがといった感じですごい存在感だった。そして最近テレビで見てなかった鈴木亜美は、可愛い。「なるほど~。テレビにでるってのは、ここまで華がある人なのかぁぁ~」とやたら感心する。あきらかに他の舞台人よりかわいいし、華もあるから、やたら目がいくんだけど、舞台に立つと舞台を中心に勉強してきた舞台人の方がしっかり物語の中に「居る」ように見えるのも、舞台の不思議な現象だ。
ぽけ~っと仕事し、しっかり遊ぶ。
こんなUFO流シルバーウィークの使い方♪
明後日はどこぞのレストランでのディナーコンサート。「映画音楽」というテーマで久々に自分の歌いたい曲、好きな曲歌えます。BGMじゃなくて、しっかり聴いてもらいます。楽しみだけど、練習不足・・・(-.-)
でもこんな日々も何気に楽しいUFO29歳の9月でございます。うはっ(^。^)♪
Date: Friday, 18 Sep 2009 14:07
かなり前だけど、私の中学時代の尊敬する師が、当時自分の親の老後の看病に追われていて、めちゃくちゃ大変そうにしてたとき、彼女はこう言ってた。
「人間ってのは、生まれたときに向かって返っていくような気がするのよ。高い山に登ってまた降りるみたいに、生まれたときは可愛い赤ちゃんで、どんどん成長して、またおばあちゃん、おじいちゃんになったら、ちっちゃく可愛くなっていくの。だから赤ちゃんが誰からも愛されて可愛がられるように、私の父母の看病も楽しくやってるのよ」と。
当時、中学生だった私は、親の老後をどう面倒見るか、なんて考えたことあるわけもなく、先生が言ってる意味がよくわからなくて、「そこらへんのおじいちゃん、おばあちゃんなんてヨボヨボだし、ぜんぜん可愛くないぞ…」とひそかに思っただけだった。
数年後、その先生に再会したとき、先生がすごくちっちゃくなった気がした。旦那さんの両親と自分の親、立て続けに看病が続き、仕事も抱え、息つく暇もない日々だったという。
「今はね、最後の砦、私の母親よ。。」なんて、、小さい声だったけど大きな覚悟を持って将来を見据えてるかのように、彼女は力強く言った。
人生に模範があるとするならば、彼女はけっして道を踏み外さずに、まっすぐに生きていく人だ。本当に古来からあった日本人の文化や常識を、そのまま全うする人だ。
中学という一番心が敏感に動く時代に、彼女と出会い、彼女にいろんなことを教わり、いろんな話を聞き、いろんなことを吸収した私は、彼女から聞いたこと、学んだことすべてが見習うべき人間像なのだと、ちょっとひねくれた現在になっても思う。
ふとまた思い出す。
「人間は生まれたときに向かって返っていく」というあの言葉を。
赤ちゃんも物心つくまでは、誰へだてなくなつっこくて、誰にでも話しかけちゃう。おじいちゃんおばあちゃんもそうだ。田舎町へ行けば、若い人よりそれなりに年を召された方の方が気さくに話しかけてくる。赤ちゃんのように、支離滅裂でもとにかく距離を縮めてこようとする。
私の父も最近は、どこに出かけても、「えぇぇぇぇ!!?そこでその人に話しかけちゃうの!??」というタイミングでとにかくしゃべりかける。おじいちゃんの兆候である(笑)。そしてそんな父を、ここ数年かわいいと思うことさえある。
心優しい青年が、道端でおばあちゃんを見かけて、「あのおばあちゃん可愛いね」って言ったのを聞いたことがある。彼は暇さえあれば、自分のおばあちゃんに会いにいくような人だった。そのときはわからなかったけど、お年寄りを“かわいい”と思えるその感覚ってのは、ふつーの人間より、一段高いところにいる、崇高な人なのかもしれない。
赤ちゃんが転んでしまわないか、何かしでかさないか心配で大人たちはみんな気をはっている。最近は、自分の母の動向が気になる。病にふせながらもたま~に出かける気になった母を、「大丈夫かな」と、一人でもどこか出かけられるようになるかな・・・と、まるで子供の心配をするかのように見守る。
以前は、私が親に心配されていたのに、いつからだったか、私があらゆることで親を心配している。
だんだんと父も母も、生まれたときに向かって帰っているのかもしれない。
まだまだ若いけど、それは避けられない事実だ。両親は自分の親の病気の看病や老後の世話も経験してるし、私も、友人たちと自分たちの父母の病気に悩み「どうしたらいいんだろうね…」って、お互い話し合う機会も多くなった。
早くして親を亡くした友達は、「誰もが通る道だから、、、こればっかりは仕方ないよ。」っていう。私は今になって、彼女が若くして親を亡くしたとき、彼女の気持ちになって考えてあげられたかな、って思う。彼女の心に少しでも近づいてあげられたのかな、と。
自分自身がいろんな不安や危機を感じ、体感しないと本当に理解してあげることはできなタイプの人間だから、きっと友達や恋人、家族にまで、失望させたり、気持ちの冷たい子だと思われていることもあったかもしれない。
本当に人生が山登りのようであるならば、頂上に向かって登っていく過程で、他人の苦楽を見て感じて、自分も経験し、人をいたわる気持ち、人類が皆友達なんだという気持ち、おじいちゃんおばあちゃんは可愛いという気持ちを知っていくんだと思う。
山を登りながら、それを知り、頂上から降りるときには、悟りをひらいたように誰とでも優しい心で接し話せるように、可愛いと思えたお年寄りに自らが向かっていくように、返っていくのだと思う。
現在の世の中は、そう模範通りにいかないこともある。生きにくい世の中だからか、卑屈で心が荒れ果ててるお年寄りもいる。若者が誰へだてなく、周りの人に話しかけようものなら、おかしな人だと思われる。
だから私はまだ若いから(!)空気を読んで、まだ悟りを開いた人にはならない。誰にでも話しかけちゃうような、KYな人間にはならない。たぶんまだ山登りの途中だと思うから、まだまだいろいろ考えながら、自分がどういう可愛いおばあちゃんになるか…の作戦を練っていこうと思う。
ただ・・・自分が目指す頂上を間違って、一人平坦なピクニック道を歩んでいるんじゃないか…っていう危惧が現実とならないように細心の注意を払って登ろうと思う。(←はい、アラサ―UFO(^^ゞ)
「人間ってのは、生まれたときに向かって返っていくような気がするのよ。高い山に登ってまた降りるみたいに、生まれたときは可愛い赤ちゃんで、どんどん成長して、またおばあちゃん、おじいちゃんになったら、ちっちゃく可愛くなっていくの。だから赤ちゃんが誰からも愛されて可愛がられるように、私の父母の看病も楽しくやってるのよ」と。
当時、中学生だった私は、親の老後をどう面倒見るか、なんて考えたことあるわけもなく、先生が言ってる意味がよくわからなくて、「そこらへんのおじいちゃん、おばあちゃんなんてヨボヨボだし、ぜんぜん可愛くないぞ…」とひそかに思っただけだった。
数年後、その先生に再会したとき、先生がすごくちっちゃくなった気がした。旦那さんの両親と自分の親、立て続けに看病が続き、仕事も抱え、息つく暇もない日々だったという。
「今はね、最後の砦、私の母親よ。。」なんて、、小さい声だったけど大きな覚悟を持って将来を見据えてるかのように、彼女は力強く言った。
人生に模範があるとするならば、彼女はけっして道を踏み外さずに、まっすぐに生きていく人だ。本当に古来からあった日本人の文化や常識を、そのまま全うする人だ。
中学という一番心が敏感に動く時代に、彼女と出会い、彼女にいろんなことを教わり、いろんな話を聞き、いろんなことを吸収した私は、彼女から聞いたこと、学んだことすべてが見習うべき人間像なのだと、ちょっとひねくれた現在になっても思う。
ふとまた思い出す。
「人間は生まれたときに向かって返っていく」というあの言葉を。
赤ちゃんも物心つくまでは、誰へだてなくなつっこくて、誰にでも話しかけちゃう。おじいちゃんおばあちゃんもそうだ。田舎町へ行けば、若い人よりそれなりに年を召された方の方が気さくに話しかけてくる。赤ちゃんのように、支離滅裂でもとにかく距離を縮めてこようとする。
私の父も最近は、どこに出かけても、「えぇぇぇぇ!!?そこでその人に話しかけちゃうの!??」というタイミングでとにかくしゃべりかける。おじいちゃんの兆候である(笑)。そしてそんな父を、ここ数年かわいいと思うことさえある。
心優しい青年が、道端でおばあちゃんを見かけて、「あのおばあちゃん可愛いね」って言ったのを聞いたことがある。彼は暇さえあれば、自分のおばあちゃんに会いにいくような人だった。そのときはわからなかったけど、お年寄りを“かわいい”と思えるその感覚ってのは、ふつーの人間より、一段高いところにいる、崇高な人なのかもしれない。
赤ちゃんが転んでしまわないか、何かしでかさないか心配で大人たちはみんな気をはっている。最近は、自分の母の動向が気になる。病にふせながらもたま~に出かける気になった母を、「大丈夫かな」と、一人でもどこか出かけられるようになるかな・・・と、まるで子供の心配をするかのように見守る。
以前は、私が親に心配されていたのに、いつからだったか、私があらゆることで親を心配している。
だんだんと父も母も、生まれたときに向かって帰っているのかもしれない。
まだまだ若いけど、それは避けられない事実だ。両親は自分の親の病気の看病や老後の世話も経験してるし、私も、友人たちと自分たちの父母の病気に悩み「どうしたらいいんだろうね…」って、お互い話し合う機会も多くなった。
早くして親を亡くした友達は、「誰もが通る道だから、、、こればっかりは仕方ないよ。」っていう。私は今になって、彼女が若くして親を亡くしたとき、彼女の気持ちになって考えてあげられたかな、って思う。彼女の心に少しでも近づいてあげられたのかな、と。
自分自身がいろんな不安や危機を感じ、体感しないと本当に理解してあげることはできなタイプの人間だから、きっと友達や恋人、家族にまで、失望させたり、気持ちの冷たい子だと思われていることもあったかもしれない。
本当に人生が山登りのようであるならば、頂上に向かって登っていく過程で、他人の苦楽を見て感じて、自分も経験し、人をいたわる気持ち、人類が皆友達なんだという気持ち、おじいちゃんおばあちゃんは可愛いという気持ちを知っていくんだと思う。
山を登りながら、それを知り、頂上から降りるときには、悟りをひらいたように誰とでも優しい心で接し話せるように、可愛いと思えたお年寄りに自らが向かっていくように、返っていくのだと思う。
現在の世の中は、そう模範通りにいかないこともある。生きにくい世の中だからか、卑屈で心が荒れ果ててるお年寄りもいる。若者が誰へだてなく、周りの人に話しかけようものなら、おかしな人だと思われる。
だから私はまだ若いから(!)空気を読んで、まだ悟りを開いた人にはならない。誰にでも話しかけちゃうような、KYな人間にはならない。たぶんまだ山登りの途中だと思うから、まだまだいろいろ考えながら、自分がどういう可愛いおばあちゃんになるか…の作戦を練っていこうと思う。
ただ・・・自分が目指す頂上を間違って、一人平坦なピクニック道を歩んでいるんじゃないか…っていう危惧が現実とならないように細心の注意を払って登ろうと思う。(←はい、アラサ―UFO(^^ゞ)
Date: Sunday, 13 Sep 2009 09:28
仕事から帰ると、久し振りに甥っ子家族がうちに遊びに来ていた。
夏休み中はちょくちょく会ってたけれど、最近久しく会ってない気がしていて、だんだんと私にも“甥っ子禁断症状”が現れていた。ちっちゃい子だから、ちょっと会ってないだけで、もうずいぶん大きくなってるんではないだろうか…とか、実はもうしゃべってたりして…とか、いろいろ想像を巡らせていた。
久し振りに会った甥っ子は、私を見るや否や、「あちゃ!あいた!」とよくわからない言葉をしゃべりながら、満面の笑みで近寄ってきた。私がしゃがみこんで「健ちゃ~ん!!」と手を伸ばすと、かけよってきて私の足元でペタンと座りこんで、スリスリしながら私から離れようとしなかった。
「な、な、なんてかわいいんだ…(@_@。」
本当に無邪気に笑いかけてくる甥っ子を見てると、自分の中に潜んでいる、社会人としての邪念が消えていくような錯覚に陥った。そして、こんなちっちゃい子にとっては、目の前にいるこのキレイなお姉さん(←私(^^ゞ)が、適齢期の女性としての大人の自覚のない欠陥人間なのだ、な~んてわかりゃ~しないんだろうなぁ~と思って、安心して接していた。
マイコーもそうだったんだろうなぁ~って思う。(でた。またマイケル…(^^ゞ)
スターとしての彼は、普通に接してくれる大人の人間なんて数少ない親友くらいしかいなかったんだろうなぁ~と。だから先入観のない無垢な視線で無邪気に接する子供が大好きで、一緒になって子供に返ることができたんだろうなぁ~って。
結局、スターがゆえの周りの妬みや反感から、とんだ冤罪事件に巻き込まれていくわけだけど、(←マイケル・ジャクソン裁判必読!)彼にとって子供は宝物以上の存在だったんだろうと思う。
いつからだろう。
なんの先入観もなく、いろんな大人たちと接していた赤ちゃん時代の自分が成長し、いよいよ自我も芽生えはじめ、「親戚のおばちゃん苦手…」とか「おばあちゃん野菜いっぱい無理やり食べさせようとするから嫌い!」なんて言い始めたのは。お父さんとお母さんは、同じくらい好きでいなきゃいけないと、子供心に自身に言い聞かせながらも、いつの間にやら、母とは大親友のようになり、父に対しては一歩距離を置いた状態で接するようになったのは。学校の先生たちが皆正しくて、大人は間違ったことなどしないんだ!って、純粋に育ってきたのに、「考えてみれば・・・あの先生のあの行動、あの体罰おかしくね??」と気づき始めたのは。
いつの間にか成長して、いつの間にか知恵をつけて、いつの間にか大人の事情も知るようになって、いつの間にかすべての大人が正しいわけじゃないと気付いて、いつの間にか自分が大人になってる。
私の中には、この“いつの間にか”が多すぎる!!(-.-)
健ちゃんも・・・あの無邪気さ…。叔母とはいえ、私ののほほん気質を受け継いでるに違いない…とちょっと心配になったりする。
私の友達の中には、本当に大切な人を亡くした経験がある人がたくさんいる。親友や恋人、最愛のお母さん。そうして人の死に直面していくうちに、僕が、私が、彼、彼女の分までしっかり生きなくちゃいけないってその時思ったと、彼らは言う。その話を、重く受け止めた。
9・11事件から8年がたった。ワールドトレードセンターの悲劇を見て泣いた。
歌手・渡辺はま子がモンテンルパの死刑囚を助けた実話を見て、意味もなく死ななければならなかった人たち、残された家族の思いを味わった。生きたかったのに生ききれなかった人たちの存在を知った。常に死の恐怖におびえながら生きていた人たちの必至な毎日の生き方を知った。
マイコーが『Heal the World』で歌ってる。「人々が今まさに死んでいるのがわかる。君のために、僕のために、もっと素敵な場所にしようよ。」と。鬼束ちひろも『蛍』では、「すべてのときがは一瞬だと貴方は教えてくれた人」と歌ってる。
私にとって“貴方”はマイコーであり、マイコ―のおかげで、映画としては評価のたかくないテロ事件ドラマも、過去にあった悲惨な戦争ドラマも目をそらすことなく見ることができる。ちょっと泣いちゃうけど、真剣に考えられる。
人類的に見て、いつの時代に生まれたかは運命だと思う。無意味に死ぬ必要なんてない。私たちはせっかく現在という世の中に生まれたんだから、命を粗末にする必要もない。だから、生きている限りもっと一瞬一瞬をしっかり生きようと思う。
世界の中ではまだまだいろんな問題がある。(←最近そういうことも積極的に勉強済み♪)マイコーとかぶった時代に生まれてこれて良かったと思うと同時に、「すべての時が一瞬だと」大切な限りある時間なのだと・・・前よりもう少しだけ大事に思って過ごそうと思う。
ちょっと真面目な今宵のUFOより(*^^)
夏休み中はちょくちょく会ってたけれど、最近久しく会ってない気がしていて、だんだんと私にも“甥っ子禁断症状”が現れていた。ちっちゃい子だから、ちょっと会ってないだけで、もうずいぶん大きくなってるんではないだろうか…とか、実はもうしゃべってたりして…とか、いろいろ想像を巡らせていた。
久し振りに会った甥っ子は、私を見るや否や、「あちゃ!あいた!」とよくわからない言葉をしゃべりながら、満面の笑みで近寄ってきた。私がしゃがみこんで「健ちゃ~ん!!」と手を伸ばすと、かけよってきて私の足元でペタンと座りこんで、スリスリしながら私から離れようとしなかった。
「な、な、なんてかわいいんだ…(@_@。」
本当に無邪気に笑いかけてくる甥っ子を見てると、自分の中に潜んでいる、社会人としての邪念が消えていくような錯覚に陥った。そして、こんなちっちゃい子にとっては、目の前にいるこのキレイなお姉さん(←私(^^ゞ)が、適齢期の女性としての大人の自覚のない欠陥人間なのだ、な~んてわかりゃ~しないんだろうなぁ~と思って、安心して接していた。
マイコーもそうだったんだろうなぁ~って思う。(でた。またマイケル…(^^ゞ)
スターとしての彼は、普通に接してくれる大人の人間なんて数少ない親友くらいしかいなかったんだろうなぁ~と。だから先入観のない無垢な視線で無邪気に接する子供が大好きで、一緒になって子供に返ることができたんだろうなぁ~って。
結局、スターがゆえの周りの妬みや反感から、とんだ冤罪事件に巻き込まれていくわけだけど、(←マイケル・ジャクソン裁判必読!)彼にとって子供は宝物以上の存在だったんだろうと思う。
いつからだろう。
なんの先入観もなく、いろんな大人たちと接していた赤ちゃん時代の自分が成長し、いよいよ自我も芽生えはじめ、「親戚のおばちゃん苦手…」とか「おばあちゃん野菜いっぱい無理やり食べさせようとするから嫌い!」なんて言い始めたのは。お父さんとお母さんは、同じくらい好きでいなきゃいけないと、子供心に自身に言い聞かせながらも、いつの間にやら、母とは大親友のようになり、父に対しては一歩距離を置いた状態で接するようになったのは。学校の先生たちが皆正しくて、大人は間違ったことなどしないんだ!って、純粋に育ってきたのに、「考えてみれば・・・あの先生のあの行動、あの体罰おかしくね??」と気づき始めたのは。
いつの間にか成長して、いつの間にか知恵をつけて、いつの間にか大人の事情も知るようになって、いつの間にかすべての大人が正しいわけじゃないと気付いて、いつの間にか自分が大人になってる。
私の中には、この“いつの間にか”が多すぎる!!(-.-)
健ちゃんも・・・あの無邪気さ…。叔母とはいえ、私ののほほん気質を受け継いでるに違いない…とちょっと心配になったりする。
私の友達の中には、本当に大切な人を亡くした経験がある人がたくさんいる。親友や恋人、最愛のお母さん。そうして人の死に直面していくうちに、僕が、私が、彼、彼女の分までしっかり生きなくちゃいけないってその時思ったと、彼らは言う。その話を、重く受け止めた。
9・11事件から8年がたった。ワールドトレードセンターの悲劇を見て泣いた。
歌手・渡辺はま子がモンテンルパの死刑囚を助けた実話を見て、意味もなく死ななければならなかった人たち、残された家族の思いを味わった。生きたかったのに生ききれなかった人たちの存在を知った。常に死の恐怖におびえながら生きていた人たちの必至な毎日の生き方を知った。
マイコーが『Heal the World』で歌ってる。「人々が今まさに死んでいるのがわかる。君のために、僕のために、もっと素敵な場所にしようよ。」と。鬼束ちひろも『蛍』では、「すべてのときがは一瞬だと貴方は教えてくれた人」と歌ってる。
私にとって“貴方”はマイコーであり、マイコ―のおかげで、映画としては評価のたかくないテロ事件ドラマも、過去にあった悲惨な戦争ドラマも目をそらすことなく見ることができる。ちょっと泣いちゃうけど、真剣に考えられる。
人類的に見て、いつの時代に生まれたかは運命だと思う。無意味に死ぬ必要なんてない。私たちはせっかく現在という世の中に生まれたんだから、命を粗末にする必要もない。だから、生きている限りもっと一瞬一瞬をしっかり生きようと思う。
世界の中ではまだまだいろんな問題がある。(←最近そういうことも積極的に勉強済み♪)マイコーとかぶった時代に生まれてこれて良かったと思うと同時に、「すべての時が一瞬だと」大切な限りある時間なのだと・・・前よりもう少しだけ大事に思って過ごそうと思う。
ちょっと真面目な今宵のUFOより(*^^)
Date: Thursday, 10 Sep 2009 00:25
イタリアに行こうと思う。
今年中に。20代最後の思い出に。
比較的、近場の安価な場所ばかり選んで海外へとんでいた私にしては珍しい。20代最後を飾る場所は、私的にはやぱり“ザ・ヨーロッパ”である。
正確にいうと、私はヨーロッパにはだいぶ行ったことがある。イタリアもフランスもスイスもギリシャもまわった(らしい)。そう、私はその時3歳児くらいだったから、そんな素敵なヨーロッパの記憶は今となっては一ミクロもない。
私は思う。私にもしお子が生まれたら、子供は10歳くらい・・・せめてある程度記憶が残るくらいの年齢になるまで、絶対連れていかない!と。
けど、、実際のところ子供って何歳くらいから、記憶が定かになるのだろう。
私がスーパー天才児に生まれて、幼児期から記憶力が優れた子供だったとしたら、ヨーロッパなんて簡単には行けないところに来ているという事実を今でも覚えられる人になってたかもしれない。そう思うと、やっぱり…「嗚呼。天才に生まれたかった…」と思うのだ。
っていうのも~
今年も「高校生クイズ選手権」を見て、一人興奮気味のUFOなのです。
去年から、趣向が変わり、天才高校生決定戦みたいな番組になっちゃったけど、まぁ別番組として見ればそれはそれで楽しい。
最近じゃ全然頭使ってないので、日々退化していく脳みそをひしひしと感じながら、「オツムよく生まれたかった…」っていう自分への劣等感と、自分ではわけわからん次元の回答力への憧れから、「高校生萌え~」って気持ちになってくる。メイド喫茶に通う、秋葉原のおっちゃんの気持ちになってくる。
数時間テレビの前にへばりついて、クイズにとんちんかんな回答を並べたてながら、楽しんでる私を、親はあきれたように見守りつつ、やっぱり私につられて楽しんでいた。クイズの内容もよくわからんのに、ここまで興奮できるのは、私の一種の才能でもある。
で、私がクイズ番組好きなのも何かの縁、、、というわけで、クイズによく出てきそうな、3大○○ってのを、各方面からふきこまれている。
日本の三名園→偕楽園、兼六園、後楽園。
日本三景→松島、天橋立、安芸の宮島。
日本三大うどん→讃岐、稲庭、水沢
世界三大珍味→トリュフ、キャビア、フォアグラ。
世界三大テノール→ドミンゴ、カレーラス、パバロッティ。
世界三大悪妻→クサンティッペ、コンスタンツェ、トルストイ。
世界三大美女→クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。
etc…
(パッとおもい浮かぶのが、これしかないってのが、私の学習能力の低さの表れである。)
そんなこんなで、日本三大うどんでまた食べたことのなかった、水沢うどんを食べるため、群馬県は水沢まで行ってきましたー♪
青春18きっぷで高崎へ+そこからバスで揺られること、数時間。ようやく水沢うどん街に到着~。バスを降りるともうお昼をまわっており、目の前には「もはや水沢うどんしかありません!」なお店が、ずずずらーーっと並んでいる。事前チェックで決めておいた、お店へすぐさま入り、人生初の水沢うどんをご賞味する。
うまいっ!
三大うどんの中では、讃岐くんや稲庭さんたちに押されて、かーなーり、影をひそめちゃってる水沢ちゃんは、ひんやりとしていて、若干“コシ”に欠けてて、家庭でも出せるかもしれなさそうな庶民的な感じが、とても私好みだった。何より、水沢名物(?)な胡麻だれが非常に美味だった。
これまで、“稲庭→讃岐→その他”だった、私のうどんランキングに、“稲庭→水沢→讃岐”と見事に水沢ちゃんは2位にランキングされた。
その後、水沢観音でお参りし、たまたま無料拝観中だった釈迦堂で、それはそれは多種の仏像たちと触れ合い、その後、伊香保温泉街まで歩いた。途中道の駅によって、チーズケーキやチーズプリンの試食をするも、華麗にスルーして、さらに歩いて歩いて、伊香保名物石段街へ。だんだん疲れてきたものの、行きたかったけど立ち寄れなかった伊香保グリーン牧場のバニラアイスをゲットして、石段街で小休憩。。。ふっと息をふき返して、無事、水沢うどんツアーを終えたのであった。
やっぱり「百聞は一見に如かず」。
これで私は他の三大○○は忘れても、三大うどんは忘れない。
そしてこの記憶力が持続している20代のうちに、イタリア三大都市巡りツアーに出かけるのであります♪イタリア詳しい方~、イタリア情報待ってまーすヽ(^。^)ノ
今年中に。20代最後の思い出に。
比較的、近場の安価な場所ばかり選んで海外へとんでいた私にしては珍しい。20代最後を飾る場所は、私的にはやぱり“ザ・ヨーロッパ”である。
正確にいうと、私はヨーロッパにはだいぶ行ったことがある。イタリアもフランスもスイスもギリシャもまわった(らしい)。そう、私はその時3歳児くらいだったから、そんな素敵なヨーロッパの記憶は今となっては一ミクロもない。
私は思う。私にもしお子が生まれたら、子供は10歳くらい・・・せめてある程度記憶が残るくらいの年齢になるまで、絶対連れていかない!と。
けど、、実際のところ子供って何歳くらいから、記憶が定かになるのだろう。
私がスーパー天才児に生まれて、幼児期から記憶力が優れた子供だったとしたら、ヨーロッパなんて簡単には行けないところに来ているという事実を今でも覚えられる人になってたかもしれない。そう思うと、やっぱり…「嗚呼。天才に生まれたかった…」と思うのだ。
っていうのも~
今年も「高校生クイズ選手権」を見て、一人興奮気味のUFOなのです。
去年から、趣向が変わり、天才高校生決定戦みたいな番組になっちゃったけど、まぁ別番組として見ればそれはそれで楽しい。
最近じゃ全然頭使ってないので、日々退化していく脳みそをひしひしと感じながら、「オツムよく生まれたかった…」っていう自分への劣等感と、自分ではわけわからん次元の回答力への憧れから、「高校生萌え~」って気持ちになってくる。メイド喫茶に通う、秋葉原のおっちゃんの気持ちになってくる。
数時間テレビの前にへばりついて、クイズにとんちんかんな回答を並べたてながら、楽しんでる私を、親はあきれたように見守りつつ、やっぱり私につられて楽しんでいた。クイズの内容もよくわからんのに、ここまで興奮できるのは、私の一種の才能でもある。
で、私がクイズ番組好きなのも何かの縁、、、というわけで、クイズによく出てきそうな、3大○○ってのを、各方面からふきこまれている。
日本の三名園→偕楽園、兼六園、後楽園。
日本三景→松島、天橋立、安芸の宮島。
日本三大うどん→讃岐、稲庭、水沢
世界三大珍味→トリュフ、キャビア、フォアグラ。
世界三大テノール→ドミンゴ、カレーラス、パバロッティ。
世界三大悪妻→クサンティッペ、コンスタンツェ、トルストイ。
世界三大美女→クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。
etc…
(パッとおもい浮かぶのが、これしかないってのが、私の学習能力の低さの表れである。)
そんなこんなで、日本三大うどんでまた食べたことのなかった、水沢うどんを食べるため、群馬県は水沢まで行ってきましたー♪
青春18きっぷで高崎へ+そこからバスで揺られること、数時間。ようやく水沢うどん街に到着~。バスを降りるともうお昼をまわっており、目の前には「もはや水沢うどんしかありません!」なお店が、ずずずらーーっと並んでいる。事前チェックで決めておいた、お店へすぐさま入り、人生初の水沢うどんをご賞味する。
うまいっ!
三大うどんの中では、讃岐くんや稲庭さんたちに押されて、かーなーり、影をひそめちゃってる水沢ちゃんは、ひんやりとしていて、若干“コシ”に欠けてて、家庭でも出せるかもしれなさそうな庶民的な感じが、とても私好みだった。何より、水沢名物(?)な胡麻だれが非常に美味だった。
これまで、“稲庭→讃岐→その他”だった、私のうどんランキングに、“稲庭→水沢→讃岐”と見事に水沢ちゃんは2位にランキングされた。
その後、水沢観音でお参りし、たまたま無料拝観中だった釈迦堂で、それはそれは多種の仏像たちと触れ合い、その後、伊香保温泉街まで歩いた。途中道の駅によって、チーズケーキやチーズプリンの試食をするも、華麗にスルーして、さらに歩いて歩いて、伊香保名物石段街へ。だんだん疲れてきたものの、行きたかったけど立ち寄れなかった伊香保グリーン牧場のバニラアイスをゲットして、石段街で小休憩。。。ふっと息をふき返して、無事、水沢うどんツアーを終えたのであった。
やっぱり「百聞は一見に如かず」。
これで私は他の三大○○は忘れても、三大うどんは忘れない。
そしてこの記憶力が持続している20代のうちに、イタリア三大都市巡りツアーに出かけるのであります♪イタリア詳しい方~、イタリア情報待ってまーすヽ(^。^)ノ
Date: Tuesday, 01 Sep 2009 13:37
選挙は、期日前投票へ。圧倒的、民主党の勝利だったけど、私は自民党へ。
これといった理由はあるようなないような・・・。でも以前に比べれば、政治に興味が出てきて、ちょこちょことした勉強が楽しみになっている今日この頃…。
ひねくれている私は、高度経済成長期の日本だったら、どこの政党がやろうといい方向に国が導かれていっただろうし、今のこのご時世だったら、どこの政党がやろうとどうにもならないんじゃねぇの??な~んて、思っちゃうのだけど、こんな風に考えて、政治に興味がなかったり、選挙に行かない若者がいるからダメなんだ!っていう一般論があるので、大人しく選挙にいってみたのだ。
以前から経済だけ興味があり、…というのも、自分が働くのが嫌だからお金に働かせよう…とたくらみ始めたのがそもそものきっかけで。。。よく投資や株について書かれた本などを読み漁ったものだが、結局チキンな私は手が出せなかった。
その上、政治には全く興味が持てず、詳しい友達にやさしく説明してもらったり、意見を請うてみたりしたものの、つまりは自分にメリットがなさそうなことだったから関心が持てなかったのだ。でも本当は株だの経済だのの前に、私たちの生活にもっとも関わってくるのが政治である。
そんな当たり前のことに今さら気づき、どういう風の吹きまわしか今回は受け身ではなく、自分からいろいろ調べたりしてたら、だんだんと今回の総選挙、そして日本の政治がどうあるべきかについて、ちょっとづつ理解するようになった。
なるほど、「政治は面白いよ」って言ってた友人の言葉が身にしみる。(←おそっ)
選挙にも行き、大人な気分に浸りつつ、先日は友達の会社の人が開いてくれるというホームパーティーへ♪
私は毎度毎度、大人数嫌い、飲み会嫌い、、、って自分で再認識するのだが、今回も、「友達の上司のホームパーティーってどんなだ??」といかがわしい気持ちいっぱいで乗り込んだ。
蓋をあけてみればなんてことない、会社内の仲いい何人かで集まり、その友達や恋人をテキトーに連れてきて、皆で飲んだり食べたり遊んだり語り合ったりして楽しい時間を過ごそうよっていうふつーの会だった。老若男女がいいバランスでそろっていて、皆が皆、適度に他人に無関心で、適度に自分のやりたいことをして、適度にそこらにい合わせた人で世間話や人生の話をして、なにげない雰囲気がすごく居心地がよかった。
堅苦しい挨拶をしなくていい。かしこまりすぎなくていい。張り切りすぎなくていい。
対人への絶妙な力の抜き加減が、その日その場に集まった人の中で調和がとれていて、友達の上司とか同僚とかその彼氏とか初めて会う人ばかりなのに、やたらしっくりきた。やたらしっくりおさまっちゃったUFOだった。
真となる自己紹介的なものはおざなりに、よくある日常のことを話したり、奥さんが出してくれる料理について話を深めていく。そんな浅い会話で楽しいこともあるんだなぁ~なんて、冷静に思っていた。
日本人の特徴でもある。
あまり他人に深入りはしない。怖いもの、可愛そうな人、救ってあげなきゃいけない人に対して、見て見ぬふりをする。面倒なことにかかわりたくない。臭いものには蓋をする。
実際、私は他人とはある程度の距離間をもって接した方がうまくいくという美学的なものを持ってるので、人の会話さえも、適当に相槌うってることも多く、「でたな、テキトーだ、こいつ!」とか突っ込まれることも多いのだけど、徹底してそうつとめると、面倒なことも起きないし、あさ~いところで人間関係は良好につながっていく。
私は、大人数も飲み会もそんなに好きじゃないけど、親友に久々に会えたからか、他人に無関心な人たちと楽しい話ができたからか、こういうホームパーティーっていいなぁ~!と意外にも思っていた。
奥さんが作ってくれる手作り料理がそれはそれは美味しく、「奥さん、うまいっすよー!作り方教えてください♪」と、すっかり仲良くなりつつ、すぐさま皆が持ち合わせたスイーツに手を出す。リッチな友人の先輩が大人買いして持ってきてくれた有名パティシエ店のケーキを、皆がまだ酒やごはんを食べてる隙に半分以上食べ、私はかなりご満悦だった(^^ゞ
特に今後親交がないであろう人たちの、「夫婦って傍から見てるよりいろいろあるのよ~。うちの旦那なんて全然帰ってこないんだから!」って話とか「子供嫌いなのに、子供産んじゃったのよ!どうして人生間違ったんだろ。」っていう暴露話を、興味津津で笑い流しながら聞いてたら、時間はあっという間に流れた。
結局、その日その場に集まった人たちは、時間が経つにつれて散り散りに解散していった。子連れのお母さんも、子供が帰ってくる時間に帰らなきゃいけないママも。
残ったのは、結局独り者ばかりだった。
独り者は自由だ。旦那や子供の都合に自分の予定を狂わされることもない。「自由っていいの~!!」とかみしめつつも、私は母の看病のため、結局一足早く家路を急いだ。
久々に後ろ髪ひかれる楽しいイベントだった。ホームパーテー好きだーと自覚した。友よ、楽しい一日をありがとう~(*^^)v
これといった理由はあるようなないような・・・。でも以前に比べれば、政治に興味が出てきて、ちょこちょことした勉強が楽しみになっている今日この頃…。
ひねくれている私は、高度経済成長期の日本だったら、どこの政党がやろうといい方向に国が導かれていっただろうし、今のこのご時世だったら、どこの政党がやろうとどうにもならないんじゃねぇの??な~んて、思っちゃうのだけど、こんな風に考えて、政治に興味がなかったり、選挙に行かない若者がいるからダメなんだ!っていう一般論があるので、大人しく選挙にいってみたのだ。
以前から経済だけ興味があり、…というのも、自分が働くのが嫌だからお金に働かせよう…とたくらみ始めたのがそもそものきっかけで。。。よく投資や株について書かれた本などを読み漁ったものだが、結局チキンな私は手が出せなかった。
その上、政治には全く興味が持てず、詳しい友達にやさしく説明してもらったり、意見を請うてみたりしたものの、つまりは自分にメリットがなさそうなことだったから関心が持てなかったのだ。でも本当は株だの経済だのの前に、私たちの生活にもっとも関わってくるのが政治である。
そんな当たり前のことに今さら気づき、どういう風の吹きまわしか今回は受け身ではなく、自分からいろいろ調べたりしてたら、だんだんと今回の総選挙、そして日本の政治がどうあるべきかについて、ちょっとづつ理解するようになった。
なるほど、「政治は面白いよ」って言ってた友人の言葉が身にしみる。(←おそっ)
選挙にも行き、大人な気分に浸りつつ、先日は友達の会社の人が開いてくれるというホームパーティーへ♪
私は毎度毎度、大人数嫌い、飲み会嫌い、、、って自分で再認識するのだが、今回も、「友達の上司のホームパーティーってどんなだ??」といかがわしい気持ちいっぱいで乗り込んだ。
蓋をあけてみればなんてことない、会社内の仲いい何人かで集まり、その友達や恋人をテキトーに連れてきて、皆で飲んだり食べたり遊んだり語り合ったりして楽しい時間を過ごそうよっていうふつーの会だった。老若男女がいいバランスでそろっていて、皆が皆、適度に他人に無関心で、適度に自分のやりたいことをして、適度にそこらにい合わせた人で世間話や人生の話をして、なにげない雰囲気がすごく居心地がよかった。
堅苦しい挨拶をしなくていい。かしこまりすぎなくていい。張り切りすぎなくていい。
対人への絶妙な力の抜き加減が、その日その場に集まった人の中で調和がとれていて、友達の上司とか同僚とかその彼氏とか初めて会う人ばかりなのに、やたらしっくりきた。やたらしっくりおさまっちゃったUFOだった。
真となる自己紹介的なものはおざなりに、よくある日常のことを話したり、奥さんが出してくれる料理について話を深めていく。そんな浅い会話で楽しいこともあるんだなぁ~なんて、冷静に思っていた。
日本人の特徴でもある。
あまり他人に深入りはしない。怖いもの、可愛そうな人、救ってあげなきゃいけない人に対して、見て見ぬふりをする。面倒なことにかかわりたくない。臭いものには蓋をする。
実際、私は他人とはある程度の距離間をもって接した方がうまくいくという美学的なものを持ってるので、人の会話さえも、適当に相槌うってることも多く、「でたな、テキトーだ、こいつ!」とか突っ込まれることも多いのだけど、徹底してそうつとめると、面倒なことも起きないし、あさ~いところで人間関係は良好につながっていく。
私は、大人数も飲み会もそんなに好きじゃないけど、親友に久々に会えたからか、他人に無関心な人たちと楽しい話ができたからか、こういうホームパーティーっていいなぁ~!と意外にも思っていた。
奥さんが作ってくれる手作り料理がそれはそれは美味しく、「奥さん、うまいっすよー!作り方教えてください♪」と、すっかり仲良くなりつつ、すぐさま皆が持ち合わせたスイーツに手を出す。リッチな友人の先輩が大人買いして持ってきてくれた有名パティシエ店のケーキを、皆がまだ酒やごはんを食べてる隙に半分以上食べ、私はかなりご満悦だった(^^ゞ
特に今後親交がないであろう人たちの、「夫婦って傍から見てるよりいろいろあるのよ~。うちの旦那なんて全然帰ってこないんだから!」って話とか「子供嫌いなのに、子供産んじゃったのよ!どうして人生間違ったんだろ。」っていう暴露話を、興味津津で笑い流しながら聞いてたら、時間はあっという間に流れた。
結局、その日その場に集まった人たちは、時間が経つにつれて散り散りに解散していった。子連れのお母さんも、子供が帰ってくる時間に帰らなきゃいけないママも。
残ったのは、結局独り者ばかりだった。
独り者は自由だ。旦那や子供の都合に自分の予定を狂わされることもない。「自由っていいの~!!」とかみしめつつも、私は母の看病のため、結局一足早く家路を急いだ。
久々に後ろ髪ひかれる楽しいイベントだった。ホームパーテー好きだーと自覚した。友よ、楽しい一日をありがとう~(*^^)v
Date: Thursday, 27 Aug 2009 05:20
毎日まいにち、新たに報道されるマイケルニュースに、マイケルの偉大さをかみしめつつ、どの報道が一体真実なのか、、、それを突き止めるために、多くの時間を費やす日々です。
マイケルの未発表曲を見つけるたび、その素晴らしさに心が動き、マリファナが寝室から発見されたニュースに心を傷め、「マイケルが生きてる」説に心が弾み、そうこうしてるうちに、明日はマイケルの51歳の誕生日なんだなぁ~と思います。マイケルが多くの苦しみやプレッシャーから逃れるために、嘘の死亡劇を演じて、世界を欺いてくれてたならどんなに私は喜べるだろうと思います。
なんだか、私は劇団関係者の友達が多いからか、マイケルの熱狂的ファンが周りにひそかにいたため、同化していくかのように、マイコ―に対する思い入れが強くなっていて、私のことをよく知る友人なんかは、「どうせ、また一時のあいつのブームだろ、そのうち冷めるさ」なんて思ってる方もいらっしゃるのかと思いますが、日に日にマイコー熱は増してゆくばかりで、“マイコ―に冷める”なんて言葉は、私の心の辞書に存在しない状態までのぼりつめております。
我が家では、洋楽を聴く家族が一人も存在しなかったので、私は洋楽にふれずに育った。洋楽よりも、むしろ演歌ばかりが流れてる家庭だった。だから、小さい頃から、都はるみとか、石川さゆりとか、ずっと歌ってた。なかなか渋い子供である。でもそんな渋い家庭に育ったのだ。
中学から英語という教科が入り、他の科目は完璧な成績だったのに、なぜか英語だけ満点をとれず・・・。高校ではっきりと「私は英語がきらいだ!」と自覚してからは、私の人生から米文化は切り捨てようと考えた。「な~に。英語なんてできなくても、日本でよちよち生きていけるさ!」と開き直った。
大学の友人たちは、なぜか皆、世界を目指した。青年海外協力隊で、国外に出ては外国の人と結婚していく友人もちらほら出てきた。劇団の同期は、劇団を辞めるや否や、アメリカに飛びだつ人も多かった。極度の海外・・・というか、外国語嫌いの私は、「日本で成功できない人に限って、日本脱出を考えるのよねぇ~」なんて、ただ自分に冒険心や英語力が足りないだけなのに、皮肉って思ってた。
でも彼女らの行動は、マイケルほどの魅力的な何かが、日本ではなく海外にあると、、おそらく…幼くして知ってたんだなぁ~って今にして思う。
まぁ、そんなこんなで・・・英語圏のことや洋楽なんて全然知らずにこの年まできたこの私が、これほどまでマイケルに執着しているのは、ひどく珍しいことなのだ。
―執着―
私には一切これがなかった。別に大好きだった彼と別れようが、仲良かった友達と疎遠になろうが、割とあっさりと割り切れる人間だ。
最近よく失恋した友達の相談や愚痴をきく機会があるのだけど、アラサ―が失恋するとその痛手はかなりのものらしく、食べ物も喉を通らず痩せこけていったり、心のぽっかり穴があき、どうしていいやらわからなくなるらしい。
そんな友達を見ながら、自分の執着心のない人格はどうして出来上がってしまったんだろう・・・と冷静に考えるに、やっぱり幼いころの出来事が頭の中をよぎる。
小学生の低学年から固い絆で結ばれていると確信していた仲良しだった友達が、中学に入ると、他の子とつるみはじめ、私とは全くの疎遠となっていったこと。ずっと親友だと誓い合っても、お互い恋人ができたり、環境が変われば、あっさりそんな誓いなど打ち砕かれていくのだと子供心に強く受け止めたあのとき。
すごくすごく好きで結婚するかもしれない、と思った人が、今はなんとも思わないただの友達と化していること。あぁ~時が経てば人間の気持ちは変わるんだ…と現実に感じてしまっている昨今(^_^;)
そんな小さい頃からの出会いや別れを繰り返しながら、自分のまわりにいる人に、大きな期待もしなくなったし、永遠の約束など存在しないし、他人を100%信用するっていうこともなくなった。だから、別れのシチュエーションでも、自然消滅的な別れでも、心の痛みの免疫がついてるので、なんとも思わないようになっていったのかもしれない。
友達の失恋の痛手さえ、同じ気持ちになって分かち合ってあげることのできない冷淡な私だけど、未だにマイケルが残した数々の名曲を聴くと、胸がふっと痛くなる。誰がこんな天才を傷つけ、どうしてこんなにも早くこの世から去ってしまわなければならなかったのか、考えると本当に苦しくなる。
そして、ふと思う。こんなに執着しない私が、マイケルにここまで執着しているのは、彼が“永遠”になったからなのかもしれない、と。
彼が残した楽曲と彼が世界のために成し遂げた功績は、永遠に変わることがない真実だ。これからどんな突飛な噂が出てきたり過去をほじくり返したゴシップが出たとしても。。。対人関係のように、いつでも変わり得る不鮮明、不安定なものじゃない。
だから愛せるのかもしれない。だから信じれるのかもしれない。だからこんなにも執着しているのかもしれない。
明日でマイケルは51歳になる。世界の人々を欺いて、ひそかに本当に51歳を迎えててほしいと思う。ただひたすらマイケルに執着するUFOは切にそう願っている。。
マイコ―、、誕生日おめでとー(@_@。
マイケルの未発表曲を見つけるたび、その素晴らしさに心が動き、マリファナが寝室から発見されたニュースに心を傷め、「マイケルが生きてる」説に心が弾み、そうこうしてるうちに、明日はマイケルの51歳の誕生日なんだなぁ~と思います。マイケルが多くの苦しみやプレッシャーから逃れるために、嘘の死亡劇を演じて、世界を欺いてくれてたならどんなに私は喜べるだろうと思います。
なんだか、私は劇団関係者の友達が多いからか、マイケルの熱狂的ファンが周りにひそかにいたため、同化していくかのように、マイコ―に対する思い入れが強くなっていて、私のことをよく知る友人なんかは、「どうせ、また一時のあいつのブームだろ、そのうち冷めるさ」なんて思ってる方もいらっしゃるのかと思いますが、日に日にマイコー熱は増してゆくばかりで、“マイコ―に冷める”なんて言葉は、私の心の辞書に存在しない状態までのぼりつめております。
我が家では、洋楽を聴く家族が一人も存在しなかったので、私は洋楽にふれずに育った。洋楽よりも、むしろ演歌ばかりが流れてる家庭だった。だから、小さい頃から、都はるみとか、石川さゆりとか、ずっと歌ってた。なかなか渋い子供である。でもそんな渋い家庭に育ったのだ。
中学から英語という教科が入り、他の科目は完璧な成績だったのに、なぜか英語だけ満点をとれず・・・。高校ではっきりと「私は英語がきらいだ!」と自覚してからは、私の人生から米文化は切り捨てようと考えた。「な~に。英語なんてできなくても、日本でよちよち生きていけるさ!」と開き直った。
大学の友人たちは、なぜか皆、世界を目指した。青年海外協力隊で、国外に出ては外国の人と結婚していく友人もちらほら出てきた。劇団の同期は、劇団を辞めるや否や、アメリカに飛びだつ人も多かった。極度の海外・・・というか、外国語嫌いの私は、「日本で成功できない人に限って、日本脱出を考えるのよねぇ~」なんて、ただ自分に冒険心や英語力が足りないだけなのに、皮肉って思ってた。
でも彼女らの行動は、マイケルほどの魅力的な何かが、日本ではなく海外にあると、、おそらく…幼くして知ってたんだなぁ~って今にして思う。
まぁ、そんなこんなで・・・英語圏のことや洋楽なんて全然知らずにこの年まできたこの私が、これほどまでマイケルに執着しているのは、ひどく珍しいことなのだ。
―執着―
私には一切これがなかった。別に大好きだった彼と別れようが、仲良かった友達と疎遠になろうが、割とあっさりと割り切れる人間だ。
最近よく失恋した友達の相談や愚痴をきく機会があるのだけど、アラサ―が失恋するとその痛手はかなりのものらしく、食べ物も喉を通らず痩せこけていったり、心のぽっかり穴があき、どうしていいやらわからなくなるらしい。
そんな友達を見ながら、自分の執着心のない人格はどうして出来上がってしまったんだろう・・・と冷静に考えるに、やっぱり幼いころの出来事が頭の中をよぎる。
小学生の低学年から固い絆で結ばれていると確信していた仲良しだった友達が、中学に入ると、他の子とつるみはじめ、私とは全くの疎遠となっていったこと。ずっと親友だと誓い合っても、お互い恋人ができたり、環境が変われば、あっさりそんな誓いなど打ち砕かれていくのだと子供心に強く受け止めたあのとき。
すごくすごく好きで結婚するかもしれない、と思った人が、今はなんとも思わないただの友達と化していること。あぁ~時が経てば人間の気持ちは変わるんだ…と現実に感じてしまっている昨今(^_^;)
そんな小さい頃からの出会いや別れを繰り返しながら、自分のまわりにいる人に、大きな期待もしなくなったし、永遠の約束など存在しないし、他人を100%信用するっていうこともなくなった。だから、別れのシチュエーションでも、自然消滅的な別れでも、心の痛みの免疫がついてるので、なんとも思わないようになっていったのかもしれない。
友達の失恋の痛手さえ、同じ気持ちになって分かち合ってあげることのできない冷淡な私だけど、未だにマイケルが残した数々の名曲を聴くと、胸がふっと痛くなる。誰がこんな天才を傷つけ、どうしてこんなにも早くこの世から去ってしまわなければならなかったのか、考えると本当に苦しくなる。
そして、ふと思う。こんなに執着しない私が、マイケルにここまで執着しているのは、彼が“永遠”になったからなのかもしれない、と。
彼が残した楽曲と彼が世界のために成し遂げた功績は、永遠に変わることがない真実だ。これからどんな突飛な噂が出てきたり過去をほじくり返したゴシップが出たとしても。。。対人関係のように、いつでも変わり得る不鮮明、不安定なものじゃない。
だから愛せるのかもしれない。だから信じれるのかもしれない。だからこんなにも執着しているのかもしれない。
明日でマイケルは51歳になる。世界の人々を欺いて、ひそかに本当に51歳を迎えててほしいと思う。ただひたすらマイケルに執着するUFOは切にそう願っている。。
マイコ―、、誕生日おめでとー(@_@。
Date: Monday, 24 Aug 2009 14:00
夏が終わろうとしている。
来週からは秋めいた気候になるらしい。四季の中で、秋が一番好きな私としては、うれしい限りなんだけど…でもなんだか、ちょっとさみしい気分になるのは、、年のせいだろうか。
「今年も夏が終わるか。。。」
なんか、そう思うだけで少し切ない。
8月は、家族やら近しい友達やらの誕生日のオンパレードだった。私は割と疎遠な友達でさえ、誕生日を覚えてお祝メールくらいはする義理堅い人間なので、親しい人や、自分の誕生日にお祝してくれた友人の誕生日となると、どうお返しするべきか、いつも頭を悩ませる。
うちの家族は昔から、クリスマスや誕生日や記念日、旅先での土産物など、勇んでをプレゼントを選ぶという習慣がなかった。自分が欲しいものを買うのが一番いいから・・・とお金で済ませたり、「特に何もいらないから、何もあげないよ」って感じの、悪く言えば希薄でもあり、、、でもよくいえば、お互い負担をかけさせない、いちいち自分のために無駄な時間はかけさせないという合理的な考えだった。
私はそれが普通になっているので、家族の誰かが旅行に出かけても、お土産の期待はしないし、お正月も親からお年玉はもらったことがないことを不満に思ったこともないし、自分が旅行にいっても、土産のことなど考えず自分が旅を楽しむことに集中できた。家族の誕生日は本人が欲しいといったものを送り、皆で集まってお食事する程度で良かった。
でも、友達には色々いて、親の誕生日を一切祝わない人もいれば、私から見れば「他人か!?」ってくらいよそよそしく気を使って、結構な(値段の)ものをあげていたり、盛大にお祝していたりする人もいる。さらには、年を重ねて、いろんな環境に入り、ちょっとどこかに出かけただけでも、仕事場の皆にお菓子をふるまってる会社があったり、誕生日に心からお祝いしてくれようとサプライズ企画を提供してくれる人に出会う。
そうしていろんな人のプレゼントの贈り方や祝い方を見て、私は家族みたいに本当に気の置けない人以外の特別な日には、ささやかなお祝いだけで、さりげなくやり過ごすだけじゃなくて、相手が楽しむようにいろいろ考えたりすることも一つの楽しみなのだ…と、、、そうすることも対人関係には必要なのだと、少しづつ知った。
それでも、最初のうちはめちゃくちゃ自己中なプレゼント選びをしていた。
自分が好きだから、誰でもスイーツを送れば喜ぶと思って、お菓子ばかり送ったり、私が嫌いだから、たばこが大好きな人に、禁煙グッズを送ろうとしたりした。
ある日、友達に「え゛っ!べつに禁煙しようとしてるわけでもないのに、禁煙グッズ送るのって自分の押し付けじゃない?私だったらかっこいいライターとか灰皿贈るなぁ~」って言われて、初めてハッと気づいた。(←おそい)「そうか~(-.-)贈り物は、自分がしてほしいものや、自分がもらいたいものじゃなくて、相手が喜ぶものを考えなきゃいけないのか…」と思った。
それからはだいぶ相手の特性や好物を考えながら、贈り物を選ぶようになった。酒が好きな人にはアルコールを。子持ちの母には、赤ちゃんグッズを。サプライズ企画してくれた人にはサプライズ返しを。甘いものよりご飯派の友達には、ディナーをおごり、そしてもちろんスイーツ好きには、お得意のスイーツを差し上げた。「何が欲しい?」って必ず相手の意向を知れるよう確認するようにもしたし、わざわざ友達の彼女を通して調査をいれたこともある。
相手のことを考えながら贈るのは、日ごろの調査が必要だったり、「これで本当にいいだろうか…」って悩んでしまうので、ちょっと疲れるけど、自分の押し売りだった頃のプレゼントに比べれば相手も喜んでくれたと思う。
ところが、モノや食べ物に何も執着のない人ってのがいる。強欲な人のプレゼントは選びやすいが、世の中にはそうでない人もいるのだ。
今回、私の誕生日にいつもケーキを焼いてくれる友達に何を贈るかずっと悩んで、結局友達と相談し、彼女がハマっているジャニーズの曲の替え歌を贈ることにした。友達と集合して、数回テイクを繰り返した後、MDにふざけた歌詞のお祝いソングを吹き込む。
こんなバカげた(笑)こと、中学や高校以来の気もするけれど、手間をかけずお金で済ませられる大人のプレゼントからしてみれば、その人に対する熱い想いが、時間や手間の中にあって、私はこういう贈り物をあげるのももらうのも好きである。もちろん、近年は冷めた大人も多いから、相手もそういうプレゼントを喜ぶ人かどうか調査をいれた上で送らなきゃいけないけど…。
でも、、、きっと彼女は失笑しながら喜んでくれるとふんでいる。
私も年々、冷めた大人になりつつあるけど、物やお金だけじゃない、人の真心や気持ちの強さを大きな価値として感じられる大人…から、おばさんへなりたいと思う。。合理的であっても、打算的ではない、自分から生み出す生産的で純粋な無償の愛を送れるような大人、、、から、おばさんに…。。。
友よ~!来年の私の誕生日、手作りケーキ期待してるよ~ん(*^^)v(←早速打算的)
来週からは秋めいた気候になるらしい。四季の中で、秋が一番好きな私としては、うれしい限りなんだけど…でもなんだか、ちょっとさみしい気分になるのは、、年のせいだろうか。
「今年も夏が終わるか。。。」
なんか、そう思うだけで少し切ない。
8月は、家族やら近しい友達やらの誕生日のオンパレードだった。私は割と疎遠な友達でさえ、誕生日を覚えてお祝メールくらいはする義理堅い人間なので、親しい人や、自分の誕生日にお祝してくれた友人の誕生日となると、どうお返しするべきか、いつも頭を悩ませる。
うちの家族は昔から、クリスマスや誕生日や記念日、旅先での土産物など、勇んでをプレゼントを選ぶという習慣がなかった。自分が欲しいものを買うのが一番いいから・・・とお金で済ませたり、「特に何もいらないから、何もあげないよ」って感じの、悪く言えば希薄でもあり、、、でもよくいえば、お互い負担をかけさせない、いちいち自分のために無駄な時間はかけさせないという合理的な考えだった。
私はそれが普通になっているので、家族の誰かが旅行に出かけても、お土産の期待はしないし、お正月も親からお年玉はもらったことがないことを不満に思ったこともないし、自分が旅行にいっても、土産のことなど考えず自分が旅を楽しむことに集中できた。家族の誕生日は本人が欲しいといったものを送り、皆で集まってお食事する程度で良かった。
でも、友達には色々いて、親の誕生日を一切祝わない人もいれば、私から見れば「他人か!?」ってくらいよそよそしく気を使って、結構な(値段の)ものをあげていたり、盛大にお祝していたりする人もいる。さらには、年を重ねて、いろんな環境に入り、ちょっとどこかに出かけただけでも、仕事場の皆にお菓子をふるまってる会社があったり、誕生日に心からお祝いしてくれようとサプライズ企画を提供してくれる人に出会う。
そうしていろんな人のプレゼントの贈り方や祝い方を見て、私は家族みたいに本当に気の置けない人以外の特別な日には、ささやかなお祝いだけで、さりげなくやり過ごすだけじゃなくて、相手が楽しむようにいろいろ考えたりすることも一つの楽しみなのだ…と、、、そうすることも対人関係には必要なのだと、少しづつ知った。
それでも、最初のうちはめちゃくちゃ自己中なプレゼント選びをしていた。
自分が好きだから、誰でもスイーツを送れば喜ぶと思って、お菓子ばかり送ったり、私が嫌いだから、たばこが大好きな人に、禁煙グッズを送ろうとしたりした。
ある日、友達に「え゛っ!べつに禁煙しようとしてるわけでもないのに、禁煙グッズ送るのって自分の押し付けじゃない?私だったらかっこいいライターとか灰皿贈るなぁ~」って言われて、初めてハッと気づいた。(←おそい)「そうか~(-.-)贈り物は、自分がしてほしいものや、自分がもらいたいものじゃなくて、相手が喜ぶものを考えなきゃいけないのか…」と思った。
それからはだいぶ相手の特性や好物を考えながら、贈り物を選ぶようになった。酒が好きな人にはアルコールを。子持ちの母には、赤ちゃんグッズを。サプライズ企画してくれた人にはサプライズ返しを。甘いものよりご飯派の友達には、ディナーをおごり、そしてもちろんスイーツ好きには、お得意のスイーツを差し上げた。「何が欲しい?」って必ず相手の意向を知れるよう確認するようにもしたし、わざわざ友達の彼女を通して調査をいれたこともある。
相手のことを考えながら贈るのは、日ごろの調査が必要だったり、「これで本当にいいだろうか…」って悩んでしまうので、ちょっと疲れるけど、自分の押し売りだった頃のプレゼントに比べれば相手も喜んでくれたと思う。
ところが、モノや食べ物に何も執着のない人ってのがいる。強欲な人のプレゼントは選びやすいが、世の中にはそうでない人もいるのだ。
今回、私の誕生日にいつもケーキを焼いてくれる友達に何を贈るかずっと悩んで、結局友達と相談し、彼女がハマっているジャニーズの曲の替え歌を贈ることにした。友達と集合して、数回テイクを繰り返した後、MDにふざけた歌詞のお祝いソングを吹き込む。
こんなバカげた(笑)こと、中学や高校以来の気もするけれど、手間をかけずお金で済ませられる大人のプレゼントからしてみれば、その人に対する熱い想いが、時間や手間の中にあって、私はこういう贈り物をあげるのももらうのも好きである。もちろん、近年は冷めた大人も多いから、相手もそういうプレゼントを喜ぶ人かどうか調査をいれた上で送らなきゃいけないけど…。
でも、、、きっと彼女は失笑しながら喜んでくれるとふんでいる。
私も年々、冷めた大人になりつつあるけど、物やお金だけじゃない、人の真心や気持ちの強さを大きな価値として感じられる大人…から、おばさんへなりたいと思う。。合理的であっても、打算的ではない、自分から生み出す生産的で純粋な無償の愛を送れるような大人、、、から、おばさんに…。。。
友よ~!来年の私の誕生日、手作りケーキ期待してるよ~ん(*^^)v(←早速打算的)
Date: Sunday, 16 Aug 2009 06:57
真夏なので、何かと暇である。いったん暇になると、なかなか働く意欲がわかなくて、このまま暇な毎日がいいなぁ~と思ってしまう。仕事は面倒くさい(-.-)
そんな暇な一昨日、夜から観劇で帝劇へ行く予定だったので、時間まで家でウダウダしてようと思いつつ、結局体がうずうずして、レッスン行って汗流したり、銀ぶらしながらプランタンでサンダル購入したり、観劇のあとは、スイーツ屋を巡ったり…、なんだかんだ動き回ってしまった一日だった。
というわけで、観劇報告!
「ダンス・オヴ・ヴァンパイア」を観に帝劇へ♪
友人が過去に何度か観たというので、感想聞いたら、「別にこれといったストーリーはなくて、山口ファンのための舞台って感じかなぁ~」って言ってたので、別に山口ファンでもない私は、あまり期待せずに行った。ファンの人が多いからか、なかなかいい席が取れずやめようかと思ったけど、あの手この手で前から5列目での観劇♪眺めがいいと、その作品への評価もあがる。家でDVD見るのと、映画館で見るのとでは、同じ作品でも、これまた評価が変わってくる。不思議な仕組みだ…。
というわけで、今回のダンス・オブ・ヴァンパイア。私の評価はかなり高かった。面白かった。飽きなかった。楽しかった。役者さんたち皆うまかった。仕掛けが派手だった。チケット代損した気分にならなかった。
そして何より、シャオチャンが出てた!!
行ってからパンフレットを見て気づいた。「シャオチャン出てるんだー!」って思ったら、それだけでなんだか嬉しかった。ヴァンパイア・ダンサーたちが出てきたら、もうシャオチャン以外のどこを見ることもできなかった。美しい。素晴らしすぎる!あの跳躍力としなやかさと、センスは誰もマネすることができないと思う。すんごい動きをしてるのに、あくまでポーカーフェイスなのも相変わらずでめちゃくちゃかっこいい!
シャオチャンの踊りを見ながら、劇団の思い出が蘇ってくる。
研究生時代も、シャオチャンファンクラブのようなものが同期の中で出来上がってて、稽古場や食堂でシャオチャンを見かけるだけで、我ら女子はひそかに「きゃーきゃー騒いだものだ。先頭切って(?)ファンだった私は、シャオチャンの踊りのどのあたりが好きかを、とうとうと語ったりもした。みんなが同じ振り付けをされているのに、一人違う。振り付けした人よりむしろうまい。そんな天才的ダンサーだった。
マイケルのコンサートに日本人ダンサーとして出演してた、ユーコ・ジャクソンが「彼が踊ると全部彼の踊りになる」って言ってたのをTVで見たけど、まさにシャオチャンもそのとおりで、ヴァンパイア・ダンサーの踊りが、皆同じ振り付けだとは到底思えなかった。
きゃーきゃーミーハー気分でいられた研究生も終わると、いつしか私はシャオチャンと同じ舞台に立つことになっていた。自称ファンクラブの一員だった私にとって、こんな最高の機会を得られたことは奇跡なはずだった。
が、なぜか私はそんな絶好の機会をふつーにスルーしてしまった。というかスルーせざるを得なかった。自分にいっぱいいっぱいだったからだ。「ファンだったんですぅー。一緒に舞台に出れて光栄ですぅ~」とかほざいて、自分アピールしてる資格さえなかったからだ。キャッツのリハーサル室で、私がシャオチャンにとっては朝飯前な振りの踊りを必至こいて練習してると、ストレッチしながら笑ってこっちを見てたのを思い出す。
隣にいるシーンも、からむシーンも結構あったし、打ち上げで一緒に写真とったことはあっても、常に崇拝する先輩とポッと出の後輩、そして、一緒に舞台に立つ同志のような感覚でその時は過ぎ去っていってしまった。
あれから、シャオチャンがどうして劇団を離れるようになったかもよく知らない。「若くて体のきく若い中国人が入ってきたらしい」と友達から聞いたこともある。でも私の中のナンバーワンは常にシャオチャンだったし、きっとあんなにしなやかでキレのあるセクシーダンスをする人を他に知らないから、シャオチャンがもうミストフェリーズをやらないんだ…って思ったら、なんだか空しくなったこともある。
ヴァンパイアのすんごい踊りを見て、シャオチャンがいまだにシャオチャン健在!!って感じで踊ってるのを見て、心から嬉しかった。
帰り・・・楽屋口に行って、話しかけたらきっと思い出してくれるだろうとも思ってみた。・・・が、キャッツのときも終演後、すさまじい早さで帰っていたのを思い出し、ヴァンパイアのカーテンコールが終わる頃「この方…数分後にはもう楽屋にいないはず(笑)」と思い直した(^_^;)
憧れの先輩はあこがれのままで…。飛びぬけたダンス力はまた舞台で見れればいいとそう思った。まだまだずーっとずずずーーっと踊り続けてくれることを私は願う。またいつか舞台でシャオチャンの踊りが見れるときがくるといいなと思う。
ダンス・オヴ・ヴァンパイアの観劇日記。。。なんだか感想じゃなくて、シャオチャンとの思い出話で終わってしまった。。。
ヴァンパイアの感想を知りたかった読者の皆様、、悪しからず…(-"-)
でも、シャオチャンの踊りはほんとーーに一見の価値アリです!!ぜひ皆様も帝劇へ♪♪(ってもうすぐ終わっちゃう~(>_<))
そんな暇な一昨日、夜から観劇で帝劇へ行く予定だったので、時間まで家でウダウダしてようと思いつつ、結局体がうずうずして、レッスン行って汗流したり、銀ぶらしながらプランタンでサンダル購入したり、観劇のあとは、スイーツ屋を巡ったり…、なんだかんだ動き回ってしまった一日だった。
というわけで、観劇報告!
「ダンス・オヴ・ヴァンパイア」を観に帝劇へ♪
友人が過去に何度か観たというので、感想聞いたら、「別にこれといったストーリーはなくて、山口ファンのための舞台って感じかなぁ~」って言ってたので、別に山口ファンでもない私は、あまり期待せずに行った。ファンの人が多いからか、なかなかいい席が取れずやめようかと思ったけど、あの手この手で前から5列目での観劇♪眺めがいいと、その作品への評価もあがる。家でDVD見るのと、映画館で見るのとでは、同じ作品でも、これまた評価が変わってくる。不思議な仕組みだ…。
というわけで、今回のダンス・オブ・ヴァンパイア。私の評価はかなり高かった。面白かった。飽きなかった。楽しかった。役者さんたち皆うまかった。仕掛けが派手だった。チケット代損した気分にならなかった。
そして何より、シャオチャンが出てた!!
行ってからパンフレットを見て気づいた。「シャオチャン出てるんだー!」って思ったら、それだけでなんだか嬉しかった。ヴァンパイア・ダンサーたちが出てきたら、もうシャオチャン以外のどこを見ることもできなかった。美しい。素晴らしすぎる!あの跳躍力としなやかさと、センスは誰もマネすることができないと思う。すんごい動きをしてるのに、あくまでポーカーフェイスなのも相変わらずでめちゃくちゃかっこいい!
シャオチャンの踊りを見ながら、劇団の思い出が蘇ってくる。
研究生時代も、シャオチャンファンクラブのようなものが同期の中で出来上がってて、稽古場や食堂でシャオチャンを見かけるだけで、我ら女子はひそかに「きゃーきゃー騒いだものだ。先頭切って(?)ファンだった私は、シャオチャンの踊りのどのあたりが好きかを、とうとうと語ったりもした。みんなが同じ振り付けをされているのに、一人違う。振り付けした人よりむしろうまい。そんな天才的ダンサーだった。
マイケルのコンサートに日本人ダンサーとして出演してた、ユーコ・ジャクソンが「彼が踊ると全部彼の踊りになる」って言ってたのをTVで見たけど、まさにシャオチャンもそのとおりで、ヴァンパイア・ダンサーの踊りが、皆同じ振り付けだとは到底思えなかった。
きゃーきゃーミーハー気分でいられた研究生も終わると、いつしか私はシャオチャンと同じ舞台に立つことになっていた。自称ファンクラブの一員だった私にとって、こんな最高の機会を得られたことは奇跡なはずだった。
が、なぜか私はそんな絶好の機会をふつーにスルーしてしまった。というかスルーせざるを得なかった。自分にいっぱいいっぱいだったからだ。「ファンだったんですぅー。一緒に舞台に出れて光栄ですぅ~」とかほざいて、自分アピールしてる資格さえなかったからだ。キャッツのリハーサル室で、私がシャオチャンにとっては朝飯前な振りの踊りを必至こいて練習してると、ストレッチしながら笑ってこっちを見てたのを思い出す。
隣にいるシーンも、からむシーンも結構あったし、打ち上げで一緒に写真とったことはあっても、常に崇拝する先輩とポッと出の後輩、そして、一緒に舞台に立つ同志のような感覚でその時は過ぎ去っていってしまった。
あれから、シャオチャンがどうして劇団を離れるようになったかもよく知らない。「若くて体のきく若い中国人が入ってきたらしい」と友達から聞いたこともある。でも私の中のナンバーワンは常にシャオチャンだったし、きっとあんなにしなやかでキレのあるセクシーダンスをする人を他に知らないから、シャオチャンがもうミストフェリーズをやらないんだ…って思ったら、なんだか空しくなったこともある。
ヴァンパイアのすんごい踊りを見て、シャオチャンがいまだにシャオチャン健在!!って感じで踊ってるのを見て、心から嬉しかった。
帰り・・・楽屋口に行って、話しかけたらきっと思い出してくれるだろうとも思ってみた。・・・が、キャッツのときも終演後、すさまじい早さで帰っていたのを思い出し、ヴァンパイアのカーテンコールが終わる頃「この方…数分後にはもう楽屋にいないはず(笑)」と思い直した(^_^;)
憧れの先輩はあこがれのままで…。飛びぬけたダンス力はまた舞台で見れればいいとそう思った。まだまだずーっとずずずーーっと踊り続けてくれることを私は願う。またいつか舞台でシャオチャンの踊りが見れるときがくるといいなと思う。
ダンス・オヴ・ヴァンパイアの観劇日記。。。なんだか感想じゃなくて、シャオチャンとの思い出話で終わってしまった。。。
ヴァンパイアの感想を知りたかった読者の皆様、、悪しからず…(-"-)
でも、シャオチャンの踊りはほんとーーに一見の価値アリです!!ぜひ皆様も帝劇へ♪♪(ってもうすぐ終わっちゃう~(>_<))
Date: Friday, 14 Aug 2009 05:59
暑い~。暑くて何もやる気がせぬ~(-。-)
仕事場に行った途端に帰りてぇ~と思う。今日はお客さん一人も来なきゃいいのにと思う。お盆休みだから、お客さんがいっぱいくると思ったら大間違いで、本社の人が、張り切って早朝からレッスンを設けたものの、里帰りしてる方の方が多く、お客さんはほとんど来ない。残されたスタッフたちで、朝早くからスタジオを開け、準備をして眠気がピークに達する。腑抜けな感じでレッスンを終えたら、とっとと帰ってまったりしようと思う。明日も明後日もし明後日もずーーっと休みであればいいのに…と思う。
そんなやる気のカケラもない今日この頃。。。
夏になるといつも困ることがある。いつどこでさされたか分からない、虫刺され痕である。若いころは放置しておいても自然治癒の力が大いに働いてくれてたけれど、年をとるにつれて、その力は薄れ、虫刺されがシミになって残る。露出度の高いヨガウェアを着て、鏡越の自分の肌に黒いシミが見つかるとテンションも下がっていくというもんである。
昨年の今頃は、ちょうどオリンピックの時期で、家とスタジオの往復をするうちに、日本人選手に励まされ、体操のうっちーに夢中になり、私らしからぬテンションの高さだったことを思い出す。
― 何もない夏 ―
なんか楽しいことないかしら…と思わずにはいられない。
楽しいこと…と言えば、楽しいんだか悲しいんだかわからないけど、マイケルの生前のリハーサル映像をまとめた映画が10月30日に全世界で一斉公開されてるようだ。
見に行きたいけど、せつない気がする。見たいけど見たくない気がする。50歳のマイケルがどんなにカッコ良くリハーサルしていたとしても、実際の彼はもういないという事実が切なくさせるであろうという思いはもちろんのこと…。マイケルの同意なく100%の力で踊ってない彼の姿を全世界の人に送るという行為は、常に100%の努力と100%の完璧を作りあげてきた彼にとっては、とても心苦しいことなのではないか…って思わずにはいられないからだ。
本田美奈子が亡くなったときも、追悼CDが次々に出された。私は生まれて初めて見たミュージカルが彼女が出演していたものだったので、彼女に対しての思い入れはとても強く、あの若さで亡くなった衝撃が今でも心に残っている。
追悼CDはファンにとってはもちろん嬉しいものだった。私は彼女のCDを集めていろいろ聞いたけれど、コンサート前のリハーサルのナンバーなどばかりを集めたCDを聞いたときは、心底彼女がかわいそうだと思った。リハーサルはある程度ぬいて歌うものだから、その歌声自体は彼女にとっての100%ではない。「リハーサル中であってもこんなに歌える!」っていうのをアピールする分にはいいけれど、CDとして世の中に出回るのはアーティストにとっては、不本意以外のナニモノでもないと思ったからだ。
そう考えると舞台人ってのは、本当に難しい職業だと思う。毎回毎回、自分の100%を出したいと思うのは当然のことで、でも毎日のことだから調子がいい日もあれば、悪い日もある。悪い日に来た、その日限りのお客さんには自分の100%未満を見せてしまったことになる。それでその方の自分に対する評価が決まる。一期一会の舞台は、それが面白いところでもあり、怖いところでもあるのだ。
私は、100%を出し続けることに異様な疲れを感じるタイプの人間だ。A型ゆえの真面目さか、もともと力はできるだけ出し惜しみしたいタイプの人間だからか。。今現在、100%未満の力でも十分な仕事をしたり、テキトーな愛情表現でも大目に見てもらえる人間関係ができあがっているのは、もともとの私の素養が築きあげたのだろうと思う。
それでも、その日その日の調子に左右される行き当たりバッタリ的な仕事をしてる私にとっては、ある意味、CDや映画、本とかいうものは、その時のその人のできる最大限のベストを提供できることに(表向きには)なってるわけだから、とてもいい媒体だと思う。えぇかっこしぃ~の人にとっては、Myベストを作り上げられる最高の仕事だと思う。
だからこそだ。
本田美奈子の追悼リハーサル中の歌集CDや、マイケルの生前リハ映像の映画っていうのは、作る側が、その時に全世界に配信できる100%を作ったとしても、本人にとってはけして100%ではない、ベストではない状態のものであるに違いないのだ。
…とまぁ、なんだかんだ言いつつも、聴いちゃう見ちゃうのが、ファン心理ってものである。だから商売は成り立っていくのである。
マイケルのリハ映画を見て、頭で違うと思いながら、心で泣くんだろうと思う。100%未満のマイケルを見ながら、私の300%以上だぜ…って思って、感涙にむせぶんだろうと思う。
そして、明日からまた100%未満の力とテンションで、日々の仕事の励むだろう。
― 今のところ ―
この夏、底をついたテンションの私が楽しみにできることといえば…そんなところである。(--)ふぅ~暑い。。
仕事場に行った途端に帰りてぇ~と思う。今日はお客さん一人も来なきゃいいのにと思う。お盆休みだから、お客さんがいっぱいくると思ったら大間違いで、本社の人が、張り切って早朝からレッスンを設けたものの、里帰りしてる方の方が多く、お客さんはほとんど来ない。残されたスタッフたちで、朝早くからスタジオを開け、準備をして眠気がピークに達する。腑抜けな感じでレッスンを終えたら、とっとと帰ってまったりしようと思う。明日も明後日もし明後日もずーーっと休みであればいいのに…と思う。
そんなやる気のカケラもない今日この頃。。。
夏になるといつも困ることがある。いつどこでさされたか分からない、虫刺され痕である。若いころは放置しておいても自然治癒の力が大いに働いてくれてたけれど、年をとるにつれて、その力は薄れ、虫刺されがシミになって残る。露出度の高いヨガウェアを着て、鏡越の自分の肌に黒いシミが見つかるとテンションも下がっていくというもんである。
昨年の今頃は、ちょうどオリンピックの時期で、家とスタジオの往復をするうちに、日本人選手に励まされ、体操のうっちーに夢中になり、私らしからぬテンションの高さだったことを思い出す。
― 何もない夏 ―
なんか楽しいことないかしら…と思わずにはいられない。
楽しいこと…と言えば、楽しいんだか悲しいんだかわからないけど、マイケルの生前のリハーサル映像をまとめた映画が10月30日に全世界で一斉公開されてるようだ。
見に行きたいけど、せつない気がする。見たいけど見たくない気がする。50歳のマイケルがどんなにカッコ良くリハーサルしていたとしても、実際の彼はもういないという事実が切なくさせるであろうという思いはもちろんのこと…。マイケルの同意なく100%の力で踊ってない彼の姿を全世界の人に送るという行為は、常に100%の努力と100%の完璧を作りあげてきた彼にとっては、とても心苦しいことなのではないか…って思わずにはいられないからだ。
本田美奈子が亡くなったときも、追悼CDが次々に出された。私は生まれて初めて見たミュージカルが彼女が出演していたものだったので、彼女に対しての思い入れはとても強く、あの若さで亡くなった衝撃が今でも心に残っている。
追悼CDはファンにとってはもちろん嬉しいものだった。私は彼女のCDを集めていろいろ聞いたけれど、コンサート前のリハーサルのナンバーなどばかりを集めたCDを聞いたときは、心底彼女がかわいそうだと思った。リハーサルはある程度ぬいて歌うものだから、その歌声自体は彼女にとっての100%ではない。「リハーサル中であってもこんなに歌える!」っていうのをアピールする分にはいいけれど、CDとして世の中に出回るのはアーティストにとっては、不本意以外のナニモノでもないと思ったからだ。
そう考えると舞台人ってのは、本当に難しい職業だと思う。毎回毎回、自分の100%を出したいと思うのは当然のことで、でも毎日のことだから調子がいい日もあれば、悪い日もある。悪い日に来た、その日限りのお客さんには自分の100%未満を見せてしまったことになる。それでその方の自分に対する評価が決まる。一期一会の舞台は、それが面白いところでもあり、怖いところでもあるのだ。
私は、100%を出し続けることに異様な疲れを感じるタイプの人間だ。A型ゆえの真面目さか、もともと力はできるだけ出し惜しみしたいタイプの人間だからか。。今現在、100%未満の力でも十分な仕事をしたり、テキトーな愛情表現でも大目に見てもらえる人間関係ができあがっているのは、もともとの私の素養が築きあげたのだろうと思う。
それでも、その日その日の調子に左右される行き当たりバッタリ的な仕事をしてる私にとっては、ある意味、CDや映画、本とかいうものは、その時のその人のできる最大限のベストを提供できることに(表向きには)なってるわけだから、とてもいい媒体だと思う。えぇかっこしぃ~の人にとっては、Myベストを作り上げられる最高の仕事だと思う。
だからこそだ。
本田美奈子の追悼リハーサル中の歌集CDや、マイケルの生前リハ映像の映画っていうのは、作る側が、その時に全世界に配信できる100%を作ったとしても、本人にとってはけして100%ではない、ベストではない状態のものであるに違いないのだ。
…とまぁ、なんだかんだ言いつつも、聴いちゃう見ちゃうのが、ファン心理ってものである。だから商売は成り立っていくのである。
マイケルのリハ映画を見て、頭で違うと思いながら、心で泣くんだろうと思う。100%未満のマイケルを見ながら、私の300%以上だぜ…って思って、感涙にむせぶんだろうと思う。
そして、明日からまた100%未満の力とテンションで、日々の仕事の励むだろう。
― 今のところ ―
この夏、底をついたテンションの私が楽しみにできることといえば…そんなところである。(--)ふぅ~暑い。。
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